焦った私は根本さんに相談したのですが、根本さんは笑っていました。
「自分の18歳の時と比べてみろ。(清原の素材は)お前が一番分かるやろ。そのうち、どんな投手も見下ろしてかかる。ただ、少々ダメでも試合で使い続けないと」
今思えば、根本さんが森監督に言って下さったんでしょう。清原は開幕直後こそ途中からの出場でしたが、すぐにスタメンに定着(注)。素晴らしい活躍を見せ、新人王も獲得しました。
根本さんの言葉は胸に染みました。実は高校1年の秋、藤井寺球場で私の打撃を目撃し「今すぐプロに来い」と誘ってくれたのも根本さん。高校中退でプロ入り。1年目のオフに解雇されかけますが、当時の別当薫監督に「面白い選手がいます」と進言してくれたのも根本さん(当時打撃コーチ)。少々成績が落ちても使われ続けました。おかげで「18歳の4番打者」として注目されることになるのです。
「18歳の土井」を知る根本さんの「自分と比べてみろ」という指標がどれほど役立ったか。自分の18歳、自分の19歳、自分の20歳の頃と比べて、どういう指導すればいいか、を身に付けることができました。
松井稼頭央(西武2軍監督)、中島宏之(巨人)、中村剛也、栗山巧(ともに西武)、浅村栄斗(楽天)、高橋周平(中日)…。振り返ってみると、私は高卒の選手の方が教えやすかったというか、相性が良かったような気がします。
根本さんに教わり、1軍指導1年目に清原に出会えたことが、指導者人生に大きく影響したことは、今も感謝です。
(注)清原は1986年4月5日、開幕2戦目の南海戦で六回から一塁の守備につき、途中出場でデビュー。第1打席で四球を選ぶと、第2打席に藤本修二からプロ初安打となる本塁打を放った。4月8日の日本ハム戦に8番で初スタメン出場。以降はスタメンに定着し、5月には5番に。10月7日のロッテ戦で初の4番に抜てきされた。1年目は最終的に打率・304、31本塁打、78打点をマークし新人王を獲得。広島との日本シリーズも全8試合で「4番・一塁」で出場し、打率・355。シリーズの優秀選手賞を獲得した。