当時36歳で体力的には厳しかったが、技術は衰えず。また、チームメートのドイツ人選手らが日本になじむよう手伝うこともしていた。
96年はジャパンフットボールリーグ(JFL)で27試合に出場し5得点。だが翌97年に監督が交代すると出場機会が激減。同年に完成した仙台スタジアム(現ユアテックスタジアム仙台)のピッチに立つことはできず、この年限りで退団。2度目の引退となった。
その後は日本サッカー協会のS級コーチライセンスを取得。横浜FCや福岡などJクラブを率いた。現在は母国のボルフスブルクでスカウト部門のトップを務めている。