1979年8月8日の広島戦で2試合連続完封勝利を挙げるなど、この年まで8年連続で2桁勝利をマーク。翌年のキャンプで中西太打撃コーチとの確執が生まれた
ギャラリーページで見る たばことライターが引退の発端になるとはね。
『ベンチがアホやから事件』の前年、1980年2月の米アリゾナでのキャンプ。打撃コーチだった中西太さんとの間に、文字通り、きなくさい出来事があった。
投手陣が外野で練習中、カコーン、パカーンと打球が飛んでくる。
「危ないぞー。ピッチャーが走っているぞー」
大声で注意をうながしても、一向にやめる気配はない。案の定、若手投手に打球が当たった。
「やめさせろ! 冗談じゃない!!」
中西さんに猛抗議した。なぜ、投手の練習中に打撃練習をするのか。しかも、打っていたのは非戦闘員。つまり控え組だ。大きな声では言えないが、中村勝広と川藤幸三だった。
投手というポジションの重要性が理解されていない。それどころか、バカにされているように感じて、はらわたが煮えくりかえったよ。ホテルに戻っても怒りは収まらない。中西さんの部屋へ行き、つい、やってしまった。「いい加減にせえよ!!」と、たばことライターを投げつけたんだ。
もちろん、体は狙わず、ベッドに向かって投げた。スピードは140キロを超えていたかもね。
こんなことを明かすと、エモトはやっぱり武闘派、いつでもだれにでもカマす…と思われるだろう。大半は、自分の損得勘定ではなく、あくまで投手陣、ひいてはチームを思うがための言動だと自負している。