原宿駅舎物語

(下)現役退くハーフティンバー 今秋の解体待つ

【原宿駅舎物語】(下)現役退くハーフティンバー 今秋の解体待つ
【原宿駅舎物語】(下)現役退くハーフティンバー 今秋の解体待つ
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 「新駅舎がこんなに大きいと思わなかった」

 JR原宿駅の新駅舎の供用が開始された21日、駅をよく利用するという都立高1年の大塚郁実(いくみ)さん(16)は驚きの声を上げた。

 新駅舎では外回り専用のホームが新設され、コンコースやトイレも拡張された。竹下通りで男性下着専門店を営む男性(69)は「きれいになった。ホームも新しくできて混雑が緩和されていいと思う」。ただ、「トイレとかがまだまだ狭いかな」と注文も。

 これまでの木造駅舎は、東京五輪・パラリンピック終了後に取り壊されることが決まっており、JR東日本によると、同駅構内に4分の1程度の大きさで駅舎を再現する計画だという。冒頭の大塚さんは「原宿駅は木造駅舎のイメージがあるから、残っていた方が原宿っぽい。このまま残してほしい」と訴えた。

 ■大正時代の流行

 原宿のシンボルでもあった都内最古の木造駅舎。西洋風2階建ての骨組みを露出させた様式は「ハーフティンバー」と呼ばれ、人々に強い印象を残した。

 この様式は中世の欧州で流行し、日本には明治時代、来日したドイツ人建築家の下で技法が受け継がれたとされる。大正時代の戦間期には、欧州の田園都市のような洒脱(しゃだつ)な建物に住むことが一つのステータスとなり、広まった。旧駅舎を設計した長谷川馨(かおる)は、同じハーフティンバー様式の旧鎌倉駅の建築などにも関わった。

 原宿駅舎がハーフティンバー様式となったことについて、鉄道総合技術研究所の小野田滋担当部長(67)は「西洋風のイチョウ並木がある明治神宮外苑と、日本的な神宮内苑の間にあることから、和風建築にも通じる木造のハーフティンバーが選択肢の一つになったのかも」と推察する。

 ■飾りだった尖塔

 屋根にある風見鶏が付いた尖塔(せんとう)も特徴の一つだ。JR東日本によると、この尖塔は純粋な飾りで中は何も使われておらず、屋根の上に乗っているだけという。

 「大正3年開業の東京駅にも塔をつくる案があったが、目立ちすぎるため中止になったと聞く。こういう遊びができるのは戦間期だからで、時代がずれていたら許容されなかったかもしれない」と小野田氏。

 今のところ解体まで木造駅舎を覆い隠す予定はないという。秋に訪れる最後のときまで、風見鶏は街を見つめ続ける。(吉沢智美)

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