西城秀樹さん死去

音楽ジャーナリスト・湯浅明さん「人を励まし続けた存在だった」

2003年7月15日、退院会見で笑顔でポーズをとる西城秀樹さん=東京・赤坂(撮影・植村光貴)
2003年7月15日、退院会見で笑顔でポーズをとる西城秀樹さん=東京・赤坂(撮影・植村光貴)

 西城秀樹さんは、すべての世代に存在が知られた特異なスターだった。団塊ジュニア世代が、生で見て格好いいと思ったアクションスター。振り付けも含めて大ヒットした「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」(昭和54年)で、舞台と客席が一体になる歌を出現させた。それまでは、歌は聴くもの、考えるものだった。

 47年にデビューし、当初は「情熱の嵐」(48年)など新御三家っぽい歌を歌っていたが、その後「君よ抱かれて熱くなれ」(51年)「ブルースカイブルー」(53年)など阿久悠さんの作詞曲を歌うようになり、詞の表現ができる大人のシンガーに脱皮した。その後、「ヤングマン」の大ヒットで、エンターテインメント性も体現した。

 大阪球場などスタジアムコンサートをソロで始めたのも西城さんで、クレーン車を使った度肝を抜く演出や、ファンに懐中電灯の持参を呼びかけ、ペンライトを使う応援の先駆けになるなど、色々な仕掛けも始めた。歌の世界を目で見せて、魅せる先駆者だった。

会員限定記事会員サービス詳細