iPhoneと戦い、そして転向した記者の懺悔 日本上陸15年、アップル商法の欺瞞と凄味

米アップルの「iPhone 3G」が発売されたソフトバンクモバイル表参道店。壇上には孫正義社長の姿も =2008年7月11日
米アップルの「iPhone 3G」が発売されたソフトバンクモバイル表参道店。壇上には孫正義社長の姿も =2008年7月11日

米アップルのスマートフォン「iPhone」が日本に上陸して15年。当時、産経新聞の情報通信担当記者として“iPhone旋風”を取材した筆者は、批判的な記事を書いていた。アップルの販売手法は問題が多く、顧客軽視の傲慢さが透けてみえたからだ。しかしその後、筆者はiPhoneを購入し、機種変更を繰り返しながら現在も愛用している。あのiPhone旋風とは何だったのか? iPhoneは携帯電話市場の何を変えたのか? 「アンチ」から「ヘビーユーザー」に転向した元担当記者が、懺悔を交えつつ総括する。

作られた行列

2008年7月11日早朝、東京・表参道のソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)の直営店には、iPhoneを発売日に買うために1500人もの行列ができていた。先頭の若者は3日前から並んでいた。「乗るしかない、このビッグウェーブに」という名言も生まれ、日本中の注目を集めた。

産経新聞は翌12日の朝刊で「アイフォーン狂騒 アップル主導行列戦略」という辛辣な記事を掲載した。

米アップルの携帯電話「iPhone 3G」の発売開始前。行列の人々と報道陣でごった返した =2008年7月11日、ソフトバンク表参道店前
米アップルの携帯電話「iPhone 3G」の発売開始前。行列の人々と報道陣でごった返した =2008年7月11日、ソフトバンク表参道店前

行列は全国のソフトバンク販売店でも発生したが、原因は、アップルとソフトバンクが予約販売を認めなかったからだ。しかも、表参道の店舗だけ開店時間を繰り上げたため、少しでも早く購入したいファンが殺到し、報道陣も押し寄せた。あれは欺瞞的な手法で「作られた行列」だったのだ。

ソフトバンクが、他の機種では応じている予約販売を認めなかったのは、「アップルの指導があったから」(東京都内の販売店)という。このため販売店はいったん受け付けた予約を取り消し、客と押し問答になるトラブルも起きていた。

飢餓感をあおる戦略

iPhoneの初代モデルは米国で2007年6月に発売され、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの3社が水面下でアップルと交渉して日本導入を目指した。

その後、08年6月4日にソフトバンクが「年内にiPhoneを発売する」と表明。約1週間後、米アップルが新型機種「iPhone3G」の発売日を「7月11日」と発表した。これが日本上陸モデルで、6月23日にはソフトバンクが端末の価格や料金プランを公表した。

しかし、最低限の情報が小出しにされるだけで、端末の詳細はほとんど明かされず、報道機関には商品写真の提供すらなかった。いつもメディアの取材に快く応じていたソフトバンクの広報担当者は、iPhoneの質問にだけ眉間にしわを寄せ、「われわれだけで情報をコントロールできない」と口をつぐんだ。

発売が開始された米アップルの携帯電話「iPhone 3G」 =2008年07月11日、ソフトバンクモバイル表参道店前
発売が開始された米アップルの携帯電話「iPhone 3G」 =2008年07月11日、ソフトバンクモバイル表参道店前

アップルは情報を出し渋り、商品への飢餓感をあおりにあおった。しかしその裏で、一部の親密なライターにだけ事前にiPhoneを配布し、発売と同時に商品をアピールする記事を書かせていたのだ。メディアやライターへの差別的な処遇は、当時の日本企業にはみられないPR手法だった。

絵文字が使えない

iPhone発売前、世間では注目商品を心待ちにする報道が多かったが、筆者は戦っていた。アップル側の情報操作を産経新聞は「じらし戦略」と断じ、消費者や販売店が混乱している様子を「供給大丈夫?」と疑問視した。7月11日の発売当日の盛り上がりは「光と影を織り交ぜての船出」と形容し、「おサイフケータイや絵文字が使えない」「月額利用料が高い」などと苦言を呈した。

発売後も、アップルとソフトバンクは売れ行きなどの状況を一切説明しない秘密主義を貫いた。これに対し筆者は9月上旬、「供給が進んでいない」というアナリストの観測を紹介して苦戦を伝えた。新聞記事の見出しには「アップル“敗戦”」の文字が踊った。

産経の一連の懐疑的な報道に対し、インターネットの巨大掲示板では、アップル製品のファンから「産経はiPhoneのネガティブキャンペーンを展開している」と叩かれ、炎上した。また、ソフトバンクの広報担当者から食事に誘われ、「勘弁してくださいよ」と婉曲に圧力をかけられたこともあった。その席でも、筆者は「今回の情報操作はひどい」と反論したものだった。

米アップルの携帯電話「iPhone 3G」を1番目に購入した客と写真に収まるソフトバンクモバイルの孫正義社長 =2008年7月11日、東京・表参道
米アップルの携帯電話「iPhone 3G」を1番目に購入した客と写真に収まるソフトバンクモバイルの孫正義社長 =2008年7月11日、東京・表参道

現在、日本の携帯電話市場におけるiPhoneの隆盛ぶりをみれば、筆者が当時書いた懐疑的な記事は滑稽に見えるかもしれない。ただ、当時はiPhoneを利用できる携帯電話会社がソフトバンク1社だけで、製品やサービスの供給も限定的。iPhoneが市場を支配する未来の姿は、まだおぼろげだった。

高級品から日用品へ

筆者はその後、ドコモの国産アンドロイド端末でスマホデビューをした。しかし、プラスチックの筐体はiPhoneの金属の輝きに比べていかにも安っぽく、デザインは弁当箱のふたのようで、操作感もモッサリしていた。同僚が愛でるiPhoneに比べれば、はっきりと見劣りがした。

2014年1月、アンドロイドスマホを買い換えようと家電量販店へ。ドコモの販売員に、最新のスマホで一番安い機種を尋ねたところ、「それはiPhoneです」と即答された。08年にソフトバンクが発売した当初、iPhoneは高価なプレミアム商品だったが、11年にKDDIから、13年にドコモからも発売され、いつのまにか最も安いコモディティ(日用品)へと変貌していたのだ。筆者はついにiPhoneを購入した。

実際に手にすると、ウェブサイトの表示がめちゃくちゃ速く、さまざまな操作が使いやすくて、衝撃の連続だった。

iPhoneの販売価格が劇的に安くなった背景には、携帯電話3社の販売競争過熱が影響していた。3社はiPhoneユーザーを獲得するため、契約時に高額な販売補助金を出す不健全な商慣行に陥った。そのおかげで携帯電話会社の収益は圧迫されたが、iPhoneは市場での支配的な地位を着々と固めていった。

筆者はアンドロイドからiPhoneへ転向したことに複雑な思いもあったが、今では家族全員で愛用し、iPhone抜きの生活は考えにくい。業務で使用しているアンドロイド端末と比べるにつけ、iPhoneの使いやすさや高性能ぶり、アップルの技術や商法の凄味を認めざるを得ない。

15年目の答え合わせ

iPhoneはあらゆる面で日本の携帯電話市場を劇的に変えた。

発売開始前のセレモニーで、行列に並ぶ人に向かって「iPhone 3G」を持った手を振るソフトバンクモバイルの孫正義社長 =2008年7月11日午前、東京・表参道
発売開始前のセレモニーで、行列に並ぶ人に向かって「iPhone 3G」を持った手を振るソフトバンクモバイルの孫正義社長 =2008年7月11日午前、東京・表参道

フィーチャーフォン、いわゆるガラケーの時代にはドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯電話会社が業界を支配したが、iPhoneは「アップル中心」に作り変えてしまった。日本上陸時、ソフトバンクは商品価格やサービス料金の決定権をアップルに握られ、完全に尻に敷かれた。ソフトバンクに続いてiPhone導入の交渉をしていたドコモ幹部は、アップルとの関係を「二股交際をかけられた上、『おれと付き合っていることは口外するな』といわれているような屈辱」と嘆いた。

では、15年前にiPhoneへの期待と警戒感を報じた筆者の視点は正しかったのか? 答え合わせをしてみよう。

iPhone発売直前の2008年6月24日の産経新聞朝刊は、「携帯電話を取り巻く産業構造をiPhoneが変えようとしている」と指摘。アップルの戦略が成功すれば、ソフトバンクやドコモなど携帯電話会社が握ってきたビジネスの主導権を完全に奪い、日本市場での利益をアップルが吸い上げる状況を招きかねない―と予想した。現在、iPhoneのシェアは5割前後との推計が多く、おおむね予想通りになっている。iPhone上陸以前にガラケーを開発、製造していた富士通、NEC、パナソニック、三菱電機など主要メーカーは、日本の携帯電話市場から撤退してしまった。

一方で筆者は、独自の“ケータイ文化”を持つ日本市場にiPhoneが浸透するのは難しいとする声も数多く伝えた。絵文字やおサイフケータイ機能のほか、テレビのワンセグ放送受信機もiPhoneに搭載されていないことを理由に挙げた。これらの見立ては結果的に正しくなかった。iPhoneは時間をかけて日本市場に浸透し、携帯電話文化を変えていったからだ。

特に、筆者が痛恨の間違いだったと反省していることがある。文字入力の際、タッチパネルで指を滑らせるスマホの「フリック入力」よりも、ガラケーの物理10キーの方が使いやすいという風に伝えたことだ。「タッチパネルは両手で携帯を操作する必要があり、フリック入力も慣れが必要。片手でメールを高速入力する日本の女子高生には受け入れられない」とする業界関係者の声を紹介した。しかし今ではフリック入力が完全に受け入れられ、筆者も物理10キーに戻りたいとはまったく思わない。懺悔するほかない。

別の視点で筆者が印象深いのは、iPhoneが携帯電話のマニュアル本をなくしてしまったことだ。ガラケーを使っていた人なら、端末を買った際に分厚いマニュアルが3冊も4冊も同梱されていたことを覚えているだろう。しかしiPhoneにはマニュアルが1冊も付属していない。さまざまな機能は自然に使いやすくできているーというアップルの自負と、「ネットユーザーならネットで調べろ」という米国流の自己責任文化の表れなのだろう。とにかく、過剰なマニュアル地獄からユーザーを解放してくれた。

iPhone上陸の直前、「“黒船の破壊力”を見極めたい」と記事に書いた。その破壊力は想像をはるかに超えていた。次の15年で、iPhoneを脅かす何かが登場するだろうか? 筆者は、日本のメーカーやサービス事業者にもう一度市場を盛り上げてもらいたいと願っている。(上野嘉之)

iPhone「電話の再発明」の陰で消えていったモノたち

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