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日本在来の野生牛に共生を学ぶ 口之島(鹿児島県十島村)

野生牛が生息する起源は不明だが、飼育用の日本在来牛が野生化したと考えられている
野生牛が生息する起源は不明だが、飼育用の日本在来牛が野生化したと考えられている

鹿児島の屋久島と奄美大島の間、南北約160キロに点在する有人離島7島と無人島5島は、吐噶喇(とから)列島と呼ばれる。吐噶喇列島の島々を運航する船は原則週2便しかなく、また豊かな自然が残るため、「日本の秘境」だといわれることも多い。

島の北部には北緯30度線のモニュメントがある。これより南は戦後しばらく、米軍統治下に置かれた
島の北部には北緯30度線のモニュメントがある。これより南は戦後しばらく、米軍統治下に置かれた

吐噶喇列島最北端に位置する口之島(くちのしま)は、同列島の玄関口といわれる島だ。世界でも珍しく、西洋種の影響を受けていない日本純血種の野生牛(野生化牛ともいう)が生息する。小柄で黒毛、褐毛(あかげ)、白斑の毛色を持つなどの特徴があり、平安時代の絵巻に描かれている牛車の牛に相当すると考えられている。

十島村(としまむら)教育委員会に聞くと、享保12(1727)年に書かれた口之島の財産目録である「立証名寄帳写(りっしょうなよせちょううつし)」に、当時は庭の木1本に至るまで課税されていたが、課税対象にならない「牛1疋(ひき)」がいたという記載があるという。

また、明治28(1895)年に吐噶喇列島を調査し、島民の生活や風土を記録した「拾島状況録(じっとうじょうきょうろく)」によれば、口之島の項には「牛が7頭いたが、誰も飼育する方法を知らないため、農業に使っておらず、野に放っているだけだった。そこで(同列島の)諏訪之瀬島に送った牛が6頭。今は雌1頭がいるのみである」という記述があるそうだ。

その後、大正期に諏訪之瀬島から口之島へ数頭の牛が導入され放牧されたが、管理が難しく、自然繁殖していったと伝わる。現在は推定約60頭の牛がおり、集落のない南部にゲートを設置して生息地を設けている。牛は島の共有財産になっているが、観光目的や家畜として利用せず、また、「水不足の時もあるが、水飲み場を設置するなどやみくもに手を出すことはせず、長く自然で暮らしてきた〝野生〟の生態を尊重する」というのが島のスタンスであるという。

私も以前、島の人の案内で野生牛生息地に車で入り、牛の親子と遭遇した。子牛は人間に興味があるのか、逃げることもせず、じっと私たちのほうを見ていた。

口之島では、植物でも島の固有種で県の天然記念物のタモトユリが見られる。カサブランカの原種で、平家の落人が種を着物のたもとに入れて持ってきたのが名前の由来だという説もある。しかし乱獲やノヤギの被害で絶滅の危機にひんし、保存・保護活動が課題となっている。近年、湧水の泉の周りに植栽したがうまくいかず、県と村が新たに対策を講じているそうだ。

一度、人間の手で変えられた自然はなかなか元には戻らないが、人間が懸命に管理するのも自然の摂理にあらがうことになる。適切な距離をもった共生のあり方を考えさせられた。

■アクセス

鹿児島県の鹿児島本港もしくは奄美大島の名瀬港から船が原則週2便運航

プロフィル

小林希(こばやし・のぞみ) 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。帰国後に『恋する旅女、世界をゆく―29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマにしている。これまで世界60カ国、日本の離島は120島を巡った。

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