話の肖像画

谷垣禎一(15)役者が一枚上だった小泉さん

財務相時代、小泉純一郎元首相(左)と国会審議に臨む =平成18年3月
財務相時代、小泉純一郎元首相(左)と国会審議に臨む =平成18年3月

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《自民党の宏池会(現岸田派)は平成12年11月の「加藤の乱」を契機に、当時会長だった加藤紘一元幹事長を中心とする加藤派と、座長だった堀内光雄元通産相が率いる堀内派に分裂した。加藤さんと行動をともにしてきた谷垣さんは加藤派に参加。双方が宏池会を名乗る異常事態は20年5月に「中宏池会」として合流するまで続いた》

分裂後の加藤派では、コアメンバーでしょっちゅう飯を食っていました。でも、加藤さんと後になって「乱」の話をしたことはありません。「あのときのあれは何だったんだ」とやってみても始まらない。総括してもしようがないと私は思っていました。総括しようと考えるような人は、加藤さんから離れていったのではないでしょうか。

戦い方はいろいろで、どれがいいかはわからないものです。事態がぎりぎり詰まってくるとどういう行動が出てくるか、全部予測できるわけでもありませんしね。私はけんか師じゃないからああいう行動になりましたが、「どうして突っ込まないんだ」と憤るのも一つの考え方だと思います。

仮に加藤さんが「一人で突撃」していたら、自民党なり政治なりを改革する流れをつくることができたのかもしれません。かつて自民党の中枢にいた立憲民主党の小沢一郎衆院議員は、政治改革を主張して割って出ていきました。野党の今の離合集散の動きの中に、いまだに常に小沢さんがいること自体、小沢一郎という人のすごさだと思います。けれども、野党がなかなかまとまらずにいるのを見ていると、小沢さんのやってきたことは何になっているのだろうという疑問もわいてきます。

自民党は、まとまるべきときはまとまることで、しぶとく生きながらえてきた政党です。党内で争っても、「隙あらば、あいつに取って代わってやろう」と思っている人がたくさんいるにしても、ひとたび「これでいこう」となれば、とにかくまとまろうという意識が働く。加藤さんの動きはそれとは違ったかもしれません。そういう中で「加藤の乱」はどういう意味を持っていたのかと考えると…さて、単純には答えが出ないのです。

《13年4月、加藤さんと盟友関係にありながら「乱」を封じる側に回った小泉純一郎元首相が政権を握った。「自民党をぶっ壊す」のフレーズや、世論を味方にした劇場型の政治手法は、加藤さんが「森おろし」でやったことと重なる》

役者としては、小泉さんが上だったと思います。加藤さんはきまじめ過ぎたのでしょう。理屈としては(山崎拓元副総裁を加えた)YKKトリオで共有していて、それを一番よく体現していたのが小泉さんだったのかもしれませんね。

小泉さんが言った「YKKは友情と打算の二重構造」は正しいと思います。ただ、加藤さんにはそうズバッと割り切れないところがあって、「乱」のときの小泉さんへの接し方なんかはやや情緒的でした。でも、小泉さんが首相のときの選挙は力を入れてやっていましたよ。そこが、「友情と打算」と言い切れない加藤さんの良さであり弱さなのかもしれません。

《14年9月、小泉改造内閣で国家公安委員長に就任した。15年9月の再改造内閣では財務相に横滑りし、小泉さんが退陣する18年9月まで丸3年間務めた》

再改造当日、小泉さんに呼ばれて首相官邸のエレベーターに乗った瞬間、それまで私についていた国家公安委員長付のSP(警護官)がぱっといなくなって、新しいSPが乗り込んできました。「あなたは何大臣の担当?」とたずねると、「財務です」。小泉さんに私のポストは財務相だと言い渡されたのは、その直後。「なるほど、SPにきいたほうが早いな」と思う出来事でした。(聞き手 豊田真由美)

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