ラムズフェルド元国防長官が死去 息子ブッシュ政権下でイラク戦争を主導

2005年、会見するラムズフェルド米国防長官(ロイター)
2005年、会見するラムズフェルド米国防長官(ロイター)

【ワシントン=黒瀬悦成】2001年の米中枢同時テロを受けたアフガニスタンとイラクでの米軍の「テロとの戦い」を息子ブッシュ元米政権の国防長官として主導したドナルド・ラムズフェルド氏が西部ニューメキシコ州の自宅で死去した。88歳。同氏の家族が6月30日に発表した。死因は明らかにしていないが、米メディアによると多発性骨髄腫を患っていたという。

1932年、中西部イリノイ州シカゴ生まれ。連邦下院議員や北大西洋条約機構(NATO)大使などを経て、フォード元政権下の75~77年と息子ブッシュ元政権下の2001~06年に国防長官を務めた。

03年からのイラク戦争ではイラクのフセイン政権(当時)を短期間で打倒したが、その後はイラク国内の治安の悪化と反米武装勢力の台頭を許し、米兵の犠牲が増大。開戦にあたっては「フセイン政権による大量破壊兵器の保有阻止」を戦争の目的として掲げたが、イラク国内で大量破壊兵器は見つからなかった。

また、開戦に抵抗したドイツ、フランスを「古い欧州」と批判した。

息子ブッシュ大統領は06年11月、米国内での反戦世論の高まりを背景に与党の共和党が中間選挙で大敗したのを受け、ラムズフェルド氏を事実上更迭した。

フセイン政権打倒後のイラクの戦後処理が失敗に終わった原因について、専門家などの間ではラムズフェルド氏が米軍首脳らの反対を押し切って比較的小規模の兵力によるイラク全土の制圧と治安維持を目指したことが要因の一つに指摘されている。

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