軟弱もの、公家かぶれ…負のイメージ根強い今川義元 復権へ地元が全力

 桶狭間の戦いで2万5千人の大軍を率いることができた点も、豊かな国力を裏付けていると分析する。「江戸時代の感覚でいえば、1万石につき軍役250人。つまり、あの頃、2万5千人という大軍は100万石の大名に相当する。そんな大名は当時、武田、上杉、毛利と数えるほどしかいない」

 ■今川さんもうれし涙

 「海道一の弓取り」といわれ、金山開発や交通網整備にも政治手腕を発揮したといわれる義元について、地元で再評価する動きが出始めたのは3年前だ。生誕500年が近づく平成29年5月、静岡市葵区の今川家の菩提寺(ぼだいじ)、臨済寺で地元関係者らが復権を宣言した。

 生誕500年の昨年は義元関連のシンポジウムを開催し「義元公大好き宣言」で締めくくった。義元をモチーフにしたゆるキャラ「今川さん」はこの宣言を境に、目元に付いていた大粒の悔し涙を外した。

 それから1年。復権をアピールする義元の銅像が完成し、今度はうれし涙が今川さんの目元に復活した。特定非営利活動法人「今川さん製作委員会」(静岡市)の鈴木将仁理事長は「りりしい銅像が完成したので、義元公は決して弱弱しくないというイメージが定着してほしい」と期待する。

 地元の老舗駅弁店「東海軒」も4月、これまで信玄をデザインしていた弁当のパッケージを30年ぶりに義元に切り替えた。静岡商工会議所によると、信玄のパッケージは当時のデザイナーが自身の出身地がかつて武田家の所領だったことから、強い武将をイメージして信玄を採用したという。ところが、生誕500年事業を展開しているのに「なぜ信玄を使うのか」という指摘が寄せられ、義元は弁当でも復権した。(岡田浩明)

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