徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと)関 大相撲20年ぶり幕尻V 「自分なんかが優勝していいんでしょうか」

【人】徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと)関 大相撲20年ぶり幕尻V 「自分なんかが優勝していいんでしょうか」
【人】徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと)関 大相撲20年ぶり幕尻V 「自分なんかが優勝していいんでしょうか」
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 結びの一番で大関貴景勝を破ると、人目をはばからず号泣した。大相撲幕内の番付で最も下にしこ名が載る幕尻での優勝は20年ぶりの快挙だ。「自分なんかが優勝していいんでしょうか」。優勝インタビューは笑顔あり、涙あり。館内から大歓声を浴びた。

 奈良県出身。小学4年で相撲を始めた。柔道と野球も習う「スポーツ少年」だった。おやつにラーメンと焼き飯を食べるほど食欲旺盛で、母の青木えみ子さんは「じっとしているのが苦手。よく食べて、よく寝る子だった」と懐かしむ。今や188キロ。絵に描いたような「お相撲さん」の体型はこうして育まれた。

 33歳5カ月での初優勝は年6場所制となった昭和33年以降、日本出身力士としては最年長。平成21年の初土俵から一度も休場がないのも誇れる点だ。師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)からは「土俵に上がるのが俺らの仕事。15日間相撲を取れ」と諭されてきた。教えを守り、場所中も連日、接骨院に通うなど心身の手入れに気を遣ってきた。

 忘れられない人がもう一人。近大時代に指導を受けた伊東勝人監督だ。しこ名に「勝」の字をもらい、勝ち越すたびに連絡を入れていた。その恩師は場所中の18日に55歳で急逝した。

 「とにかく前に出ろ」と怒鳴る指導者が多い中、伊東監督は「前に出た後なら、はたいてもいい」と相撲の幅を広げてくれた人でもある。タイミングの良い引き技を得意とするのは、その教えがあったから。「監督が一緒に土俵の中で戦ってくれたような気がします」。恩師への、この上ない恩返しとなった。(浜田慎太郎)

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