話の肖像画

日本体育大理事長・松浪健四郎(72)(7)

平成12年11月20日、衆院本会議でコップの水をまいた直後。野党議員が演壇に詰め寄る中、発言を続けた。左上は森喜朗首相
平成12年11月20日、衆院本会議でコップの水をまいた直後。野党議員が演壇に詰め寄る中、発言を続けた。左上は森喜朗首相

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■水かけ事件で登院停止

〈平成12年6月の衆院選は、保守党候補として地元の大阪19区で再選した。自民党と公明党、保守党が連立政権をつくっていた〉

自民党の森喜朗元首相とは、いろいろな接点がありました。英国で開催された11(1999)年ラグビーワールドカップ(W杯)に合わせて、早稲田大ラグビー部出身の外務官僚の奥克彦氏が「国会議員のW杯をやったらどうでしょう」と森さんに提案しました。私は森さんから国会議員チームに選ばれ、英国遠征しました。残念なことに、奥さんは15(2003)年、イラク出張時に射殺されてしまいました。

衆院選のときの森首相は「神の国発言」などで世論の批判を浴びて、選挙応援の依頼が減りました。私は「ぜひ来てください」とお願いしました。森さんの喜んだ表情は忘れられません。

森派会長の小泉純一郎元厚相からは、派閥入りを勧められました。森さんから話があったのではないかと思いますが、「(保守党の)二階俊博幹事長と心中する決心です」と言って、断りました。

〈12年11月、自民党内から森内閣退陣を求める、いわゆる「加藤の乱」が起きた。内閣不信任決議案は否決されたが…〉

森首相を守ろうと、保守党を代表して反対討論をするはずだった野田毅幹事長から、「松浪君がやったらどうだ」とお鉢が回ってきました。野田さんの原稿に自ら手を加え、同じく保守党だった小池百合子衆院議員の直しも入り、事前演習では「いいぞ」と拍手喝采を浴びました。身内だから当然ですけどね。

そして衆院本会議。意気込んで討論演説を始めたのですが、民主党議員のヤジにかちんときました。「扇千景(保守党党首)と何回やった」。とっさに、演壇にあったコップを持ち、野党席目がけて水をかけたのです。大勢の野党議員が演壇まで駆けつけて猛抗議し、議場は騒然となりました。綿貫民輔議長から「退場処分」、衆院懲罰委員会から25日間の登院停止処分を食らいました。

でもね、議員に水が届かないように工夫したんだよ。水がかかったと被害を訴える議員はいなかったでしょ。世間もはじめは批判ばかりでしたが、直木賞作家の早乙女貢さんからのファクスには励まされましたね。「菊薫る よくぞ水かけ 好男子」と記されていました。

〈地元では不祥事が相次いだ〉

暴力団員が実質経営する企業から秘書給与を肩代わりしてもらっていたことが分かり、衆院政治倫理審査会に呼び出され、ちょんまげを切り落として「けじめ」をつけました。

直後の15年の衆院選は見事に落選。しかも秘書が有権者に線香を配っていたとして、秘書とともに書類送検されました。ゴルフコンペに知人の紹介で参加した暴力団員がいた問題もありました。どれも知らないことではありましたが、「すべて私の責任だ」と謝罪しました。

これでは21年の衆院選に当選できません。自民党の要請もあって比例代表で立候補した22年の参院選も、支持組織がない戦いのため落選しました。(聞き手 今堀守通)

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