みちのく会社訪問

佐藤屋(山形市) 伝統の銘菓に「時代」を融合

 創業は江戸時代末期の文政4(1821)年。人気商品「乃し梅」は代名詞的存在だ。長崎に遊学していた山形城主の御典医が、中国人から梅を原料とした秘薬の製法を伝授され、気付け薬として持ち帰ったのが始まりとされる。

 以来、民間薬として広まり、明治時代の初めにはより食べやすい菓子として売り出された。最盛期には十数軒の菓子屋が作っていたというが、現在、県内で製造しているのは5店舗のみ。

 完熟した梅を蒸し、砂糖蜜や寒天液を加えて型に流して乾燥させる。江戸時代には葛を入れて固めていたが、さまざまな改良が加えられ、寒天を使う現在と同じ製法になったのは大正時代になってからだという。

 原料の梅は、大半が天童市や東根市など地元産。実が大きく、豊かな甘みと酸味が特徴だ。梅を缶詰にして保存できるようになったことで一年中、商品の製造も可能になった。

 ◆乃木将軍や子規も

 乃し梅にまつわるエピソードは数多い。俳人の正岡子規は明治34年の「墨汁一滴」という闘病の記録に、食卓に上った諸国の名産品として「秋田のはたはた魚、山形ののし梅、青森の林檎羊羹(りんごようかん)…」などと記している。

 日露戦争を指揮した乃木希典将軍の同37年11月の日記には、知人から取り寄せた、乃し梅を部下に贈った記述が残る。

 七代目当主、佐藤松兵衛さん(64)は「曽祖父や祖父の時代には『山形だけで商売していては限界がある』と判断したのか、東京や大阪、台湾や朝鮮にまで流通が広がっていたようです」と説明する。日本が近代化を遂げる中、山形を代表する銘菓もブランド化に拍車がかかったようだ。

 ◆新作への挑戦続く

 「乃し梅」をもとにした「梅しぐれ」「まゆはき」といった四季が感じられる新作への挑戦も続いている。

 最近のユニークな商品では、松兵衛さんの長男で同社常務の慎太郎さん(36)が期間限定で完成させた、乃し梅とチョコレートのコラボ商品「たまゆら」だろう。「乃し梅の柔らかさとチョコの硬さの融合は至難の業だった」と同一テーマに挑戦した父親も語るが、八代目は白あんを使用することで克服、伝統商品の新たな可能性を引き出してみせた。

 バターを使わない濃厚なビターチョコの仕上がりに、短冊状に乗った乃し梅の酸味が程よいアクセントとなって後味はさっぱり。ウイスキーや赤ワインといった洋酒だけではなく、日本酒との相性が良いというのも納得できる。

 「和菓子や洋菓子も融合していく時代。新しい商品は若い世代が考えればいい。代々の当主も、乃し梅をベースに、時代に合ったものを考えてきたのだから」と松兵衛さん。

 確立された伝統に甘んじることなく、時代の感性を取り入れた商品づくりにも日々、挑み続けている。(森山昌秀)

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 ■企業データ

 山形市十日町3の10の36。文政4(1821)年創業。資本金1千万円。正社員30人、パート従業員20人。和菓子のほか、ケーキやカステラなど洋菓子の製造・販売。注文・問い合わせはフリーダイヤル0120・01・3108。

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 【取材後記】米沢市上杉博物館学芸員の三男、正三郎さん(32)も老舗企業を支えている。実家に伝わる約3000点の史料を読み込み、乃し梅の製法が大正以降に完成したことなどを解明した。「手元にあっても読むとなると難解。活字になって歴史が分かった」と松兵衛さん。現場と研究の異なる分野で成果を出す2人の息子。200年の老舗の神髄を垣間見る気がした。

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