(47)中国の改革解放を「共産主義捨てた」と一蹴 トウ小平は「なんてばかなやつだ」と激怒

金正日秘録

金正日(キム・ジョンイル)後継体制への移行過程を強い関心をもって見守っていた国がある。中国だ。中国で「世襲」を否定的にとらえる幹部が多いなか、最高実力者のトウ(=登におおざと)小平は、容認する立場をとる。

中国政府編纂(へんさん)の『トウ小平年譜』によれば、1980年5月、中国共産党中央軍事委員会主席のトウは、党書記の胡喬木らとの懇談でこう話した。「外国兄弟党(朝鮮労働党)のことは、既存の方程式で評価してはならない。その国の路線と方針は、その国の党と人民が判断すべきだ」

自国の後継体制に対し、中国指導部内に異論があることを承知していた金日成(イルソン)は、説明に赴くタイミングを見計らっていた。70歳の誕生日を契機に、政権実務のバトンを息子に手渡した後の82年9月16日、中国を公式に訪問する。

到着した北京駅では、トウをはじめ、党総書記の胡耀邦や、翌年に国家主席に就く李先念、首相の趙紫陽らが出迎えた。

「息子を毎年送り学ばせる」後継者の初外遊

翌17日、北京の釣魚台国賓館で「新老幹部交代問題」を話し合った金日成とトウ小平は、18日から専用列車で3泊4日の旅に出る。

内陸部の成都に着くまで30時間以上、閉ざされた空間で2人きり話し込んだ。内容の一部は中国の文献にも記されている。

改革開放路線にかじを切るまでの「思想的違い」について触れたトウは、「われわれは『両個凡是』(毛沢東の言葉はいかなる場合も実行する)という原則を捨て、全ては実際状況に照らして決めることにしました」と説明した。

熱心に改革の必要性を説くトウに、日成はこう応じたとされる。「息子を毎年、中国に送り、改革開放のやり方を学ばせます」

約束通り、金正日は83年6月2~12日、胡耀邦の招請で非公式に訪中する。後継者に公認されて初の外遊だ。中国指導部は「外国兄弟党」の次世代指導者が改革路線を支持することを期待した。正日に改革開放の成果を示し、賛意を促すよう周到に準備した。

正日一行は2日朝、中朝国境の町、丹東で小休止し一路、北京を目指した。人民武力部長の呉振宇(オ・ジヌ)や党書記の延亨黙(ヨン・ヒョンムク)らが同行したのに対し、中国側は総書記の胡が案内役を買って出るなど手厚い歓迎をした。

正日は、改革開放が進む青島や南京、上海など沿岸都市を見て回った。11日には、北京の人民大会堂で、トウや李先念、現国家主席の習近平の父、習仲勲ら元老級指導者のほぼ全員が参席する会談に臨んだ。

「わが国の政治状況は安定局面に入った。それには、われわれ老人たちの役割が少しばかりあった」と切り出したトウはこう続けた。「私たちには、重要な任務が一つ残っている。若くて有能な若者に政権を託すことだ」

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