正論

戦後70年に思う 安保法制論議で甦る「曲学阿世」 評論家・屋山太郎

 原爆の遺物を見せたり、戦火の犠牲者にインタビューして戦争の悲惨さを語らせる。先日、テレビでコメンテーターが「この語り部たちが戦火を防ぎ、平和を永続させてくれる」というのにはあぜんとした。

 私も昭和20年5月25日、東京で大規模な空襲に遭って、妹の手を引きながら、猛火の中を逃げ回った。両親とはぐれて一家はちりぢりとなった。明朝、焼け跡に集まれたのは奇跡だったが、父は顔面を焼いて重傷だった。だが私は戦争を語ることのみや、あるいは武装しないことによって平和が保たれるとは思えない。

 ≪「平和と全面講和」の虚構≫

 国会で憲法学者が与党推薦も含めて「集団的自衛権の行使は憲法に抵触する」と語ったというので、安倍晋三内閣の支持率が急速に下がった。この様をみながら、私が高校生だったころの吉田茂首相を思い出した。

 当時は米軍占領下で、占領が終われば、各国と講和条約を結んで独立することになる。吉田首相は「米国と単独講和条約を結ぶ」と表明していた。一方で「社会主義のほうがよい国がつくれる」との考え方も多く、学者たちは「中ソとの講和」をしたかったのだが、それでは米国を敵視することになる。そこで米中ソなど全員との「全面講和」を主張した。

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