隠岐の思い出を踏まえた話芸で会場を沸かせた三遊亭楽太郎時代の円楽さん=2009年2月25日、島根県隠岐の島町西町、隠岐島文化会館
隠岐の思い出を踏まえた話芸で会場を沸かせた三遊亭楽太郎時代の円楽さん=2009年2月25日、島根県隠岐の島町西町、隠岐島文化会館

 三遊亭円楽さんは東京の下町育ちだが、父親が島根県隠岐の島町の都万目地区出身で中学生のころから来島していた。町内で円楽さんを知る人は、来年1月に開催予定だった落語会での再会がかなわず急逝を悼んだ。

 円楽さんは若い頃から町内で開かれた高座に上がった。円楽さんの両親が町内に焼き肉、園芸の店を構えた時期もあり身近な落語家。2009年2月に隠岐の島町西町の隠岐島文化会館であった落語会に合わせ、どうしても先祖の墓参りがしたいと都万目地区にも足を運んだという。

 落語会の実行委員長だった日野幸弘さん(79)=隠岐の島町上西=は「みんなで食事して円楽さんも楽しんで帰られた。ついた餅を落語会の会場で配ったら喜んでくれた」と思い出す。円楽さんは「もう一回来る」と話したという。

 都万目地区の区長で、円楽さんのまたいとこに当たる崎文夫さん(70)=同=は「落語だけでなく釣りで来た時もあったようだ。来年の落語会で久しぶりに会えると思っていたのに残念だ」と悔やんだ。

 円楽さんと長男の一太郎さん(34)親子による落語会は来年1月21日に町内で企画され、実行委の関係者によると、円楽さんは「つえをついてでも隠岐に行く」と強い意志を持っていたという。
       (鎌田剛)