フォーク編<433>村下孝蔵(15)
村下孝蔵の足跡をたどる旅の中で、村下と縁のあった多くの人々に会った。死後20年を経ても村下の音楽を愛するファンに接し、改めて音楽の持つ力を認識した。
ファンにとって村下の曲の中でのベスト1はそれぞれに違いがある。私の中で深く記憶している曲は「踊り子」だ。といってもそれは間接的な出合いである。
Sという在職中に病死した後輩記者がいた。Sとは時折、仕事を終えてスナックなどに出かけた。その場でSはマイクを握ると必ず「踊り子」を歌うのが常だった。Sを通じてこの曲を知った。
村下の曲は歌いやすいように見えるが、いざ歌うとなるとなかなか難しい。それでもSは哀感を持ってこなしていた。なぜ、「踊り子」なのか、をSに聞いたことがなかった。村下の連載のために多くの曲を聴いた。「踊り子」の曲を耳にすると、それを歌っているSの姿が前景に浮かび上がってくる。
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Sは70年代初めに青春を過ごした。この世代にとって、フォークは同時代の音楽だ。ただ、フォークという呼び名は80年代に入るとニューミュージックという言葉に吸収される。さらに、90年代には小室哲哉の登場によってダンスミュージックが音楽界を席巻し、Jポップいう名前に上書きされた、といえる。ポピュラー音楽は今のその流れにある。
シンガー・ソングライターのさだまさしはラジオ番組の中で、フォークは「一周遅れたランナー」と語っている。これは自負の裏返しの言葉ともとれる。つまり、じっくりと聴かせる歌が少ない時代、フォークにはそれがある、との思いだ。音楽評論家の富澤一誠は次のように語る。
「現在、注目され、人気のある米津玄師やあいみょんなどは、フォークの流れをくむシンガー・ソングライターだと思います」
フォークの精神は現在のも生き続けているとの指摘だ。
このコーナーでは大塚博堂、永井龍雲、村下孝蔵など九州出身者のシンガー・ソングライターを中心に紹介してきた。村下が「百年、残る歌を」と語っているように、今後も歌い継がれていくだろう。
=敬称略
(田代俊一郎)