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大隈重信のルーツを探る(上) 先祖は豊前国に? 「大隈候八十五年史」に記述あり

 佐賀藩出身で首相を務め、早稲田大を創設した大隈重信。祖先は豊前国(福岡県東部から大分県北部)に住んでいた―。大隈を語る上でバイブルとされる「大隈候八十五年史」に、こんな内容の記述があった。慶応義塾大を創設した福沢諭吉も豊前国中津藩出身。事実ならば、早慶の創設者が豊前国とゆかりがあることになる。ただ、地元では「ルーツが豊前国」という話を聞いたことがない。築上町の郷土史家、尾座本雅光さんらが調査に乗り出した。

祖先は菅原姓、久留米領に転住

 尾座本さんらが最初に訪れたのは、大隈の生家などがある佐賀市の大隈重信記念館。江口直明館長が1926年に発行された「大隈候八十五年史」を見せてくれた。大隈と親交が深く、早大の初代図書館長を務めた市島謙吉が代表者として編さんした書籍だ。

 「どの家の系図も昔に溯(さかのぼ)ると、大抵正確にわからぬが、君(大隈)の家も亦(また)その例に洩(も)れず、明らかに家系の年代を知ることが出来ぬのである」。南北朝、戦国時代などの混乱期を踏まえれば当然だろう。

 とはいえ、以下のように続く。「比較的信を置くべき説によると、君の先祖は、もと豊前に住んでいた。そして菅原家がいつ頃、筑後久留米領にある大隈村に移ったか、分明しないが、菅原家泰の時、その所領の地名を採って、はじめて大隈彦次郎と称したことだけは明白である。その人が大隈家の祖先である」

 菅原道真(菅公)の末裔(まつえい)と信じていた大隈にとって、元は菅原姓だったと考えるのが自然だ。別の書物によると、初めて廟堂に上がることを許された時には「菅原朝臣(あそん)重信」と名乗ったという。

   ◇   ◇

 それでは、大隈村はどこなのか。江口館長によると、久留米市に大隈公園があるという。

 同市梅満町の大隈公園へ向かった。重信に関する手掛かりはなかったが、少し離れた場所に「梅満大隈天満宮」が見つかった。佐賀藩・大隈重信の祖先が大隈山に社殿を建立したという。久留米市誌にも「大隈村は佐賀藩士大隈家祖先発祥の地」との記述がある。久留米にいたことは間違いないようだ。

 豊前から大隈村に移り住んだ菅原家泰(大隈彦次郎)。彦次郎の孫、孝家の代に肥前国神崎郡中津江村に転住した。その子、信吉の時に龍造寺隆信に仕えて佐賀に移り、連綿として重信の代に及んだ。そのことが書かれた彦次郎以降の家系図にはその多くに死亡日もある。

 大隈重信のルーツをたどる調査。佐賀から大隈村まではつながった。これからは豊前国だ。尾座本さんらは、道真が大宰府に流される途中に嵐で漂着したという由来がある綱敷天満宮(築上町)や、奈良時代に国衙(こくが)や豊前国分寺があったみやこ町の歴史民俗博物館などで手掛かりがないか聞き取り調査を始めた。

=2019/02/02付 西日本新聞朝刊=

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