熱冷めた道州制論の先 論説委員 山浦 修
過日、政府の出先機関に転勤となり福岡市に赴任して来た経済官僚氏に、真顔で尋ねられた。「道州制って、九州では死語になってないの?」
1995年の地方分権推進法、4年後の分権一括法、その2年後に始動した三位一体改革(国庫補助金・地方交付税の見直し、税財源移譲)。平成時代は、分権型社会への転換機運とともに歩み、時の変人宰相は「地方でできることは地方で」と叫んだ。
「市町村大合併」と併せて受け皿機能の強化策に掲げられたのが、都道府県を再編する「道州制」。改革派を自任する知事は「県がなくなっても構わない」と見えを切り、多くの政党が公約に掲げた。そして今、導入の是非を巡る取り組みは「地方創生」の陰に隠れ、議論の先進地とされた九州でも熱は冷めた。「死語」とまではいかない、が。
平成の大合併は、市町村を激減させる荒療治だったのに中央の喜ぶ行財政コスト削減が先行。「地域が良くなった」との声は乏しい。そんな地方の不満と通底する風景だ。
取材現場で「暮らしに満足してますか」と問えば、多くは「満足」「まあ満足」との返答だ。多彩な食文化や近隣コミュニティーのぬくもりを訪ね回るテレビ番組の人気とも重なる。地域固有の環境や営みが磨いた多様な価値が、住み慣れた場への愛着=「ここで生きる」パワーを増幅させている格好だ。
では「行政は?」と質問をつなぐと、「不満足」との回答が多数派となる。やや根拠に乏しい印象論にも思えるが、この満足度の落差は、人口減、少子高齢化、地方の過疎化と都市の過密化が同時に加速している現状と絡み合う。
右肩上がりの成長に疲れた平成ニッポンは、閉塞(へいそく)の一因を中央集権と一極集中に見定め、打開策として分権自治に期待した。その手段が市町村合併と道州制だった。だが、結果的に「私たちは幸せになれるの?」という問いへの回答を示せないままだ。
「権限を握る中央主導の『お任せ分権』は難儀だ」とはある首長経験者の述懐だ。そこで目を向けるべきは、暮らしを起点に近隣→市町村→広域行政→国の補完による自立の模索であり、地縁血縁の劣化を補う絆づくり、満足度の落差を埋める現場の知恵と汗だ。「自ら助くる者を助く」「継続は力なり」‐。分権運動主導者の一人、故平松守彦前大分県知事の口癖が新鮮に響く、平成最後の夏である。
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▼やまうら・おさむ 福岡県生まれ。早大卒。1980年入社。大分総局、整理部、東京報道部、地域報道部次長、東京編集長などを経て現職。
=2018/08/04付 西日本新聞朝刊=