相次いだ冤罪、捜査問題に 「免田事件」いまも教訓に
5日に亡くなった免田栄さんが1983年に死刑囚として初めて再審請求で無罪となった「免田事件」を含め、80年代には財田川、松山、島田の3事件でも死刑確定後の再審で無罪判決が出た。相次いだ冤罪に、強引な捜査手法が問題視された。
財田川事件は、50年に香川県財田村(現三豊市)で闇米のブローカーが殺害され、現金を奪われた。谷口繁義さん(2005年に74歳で死去)は裁判で自白の強要を主張し無罪を訴えた。死刑判決を受けた後、高松地裁が再審開始決定をし、1981年に確定。84年に無罪となった。
松山事件は、55年に宮城県松山町(現大崎市)で一家4人が殺害された。斎藤幸夫さん(2006年に75歳で死去)は当初犯行を認める供述をしたが、途中から否認。強盗殺人罪などで起訴され、1960年に死刑が確定した。第2次再審請求で仙台地裁が84年に無罪判決を言い渡した。
静岡県島田市で54年に6歳の女児が殺害された島田事件では、公判で一貫して否認していた赤堀政夫さんの死刑が60年に確定。86年に静岡地裁が4回目の再審請求を認め、3年後に無罪となった。
熊本地検時代、「免田事件」の再審公判を担当した元最高検次長検事の伊藤鉄男弁護士は「捜査は今では考えられないほどずさんだった。自白したことを理由に逮捕、起訴したが、警察も検察も十分な裏付けをしていなかった」と指摘。「免田事件を教訓に時の経過に左右されない『風雪に耐える捜査』に努めてきたが、近年も再審無罪が出ているのは残念だ。捜査機関は一層、努力しなければならない」とした。〔共同〕