日航機事故35年、安全意識継承に課題 ミス発見模索続く
1985年8月12日、524人を乗せた日航ジャンボ機が群馬県上野村に墜落した。単独事故では史上最大の520人が犠牲になった事故から35年。事故を未然に防ぐ仕組みづくりを進める航空業界ではミスがなお絶えず、模索が続く。安全意識をどう継承していくかも課題になっている。
「難しい修理ではなかったはずなのに」。事故機の調査を担当した運輸省航空事故調査委員会(当時)の元事故調査官、斉藤孝一さん(75)は話す。
事故の原因は機体にある後部圧力隔壁の修理ミスとされる。同機は78年に大阪国際(伊丹)空港で尻もち事故を起こし、米ボーイング社が修理した。そこで指示書と異なる修理がされ、隔壁をつなぐリベット留めが不十分だった。
斉藤さんは「強度が不足してしまうのは明らか。複数のチェックが働いていれば誰かが気づけた」と語る。日航側も見抜けぬまま機体は飛び続け、修理から7年後、上空で操縦不能に陥った。
航空各社はこの後、修理された機体を長期的に監視するプログラムや、乗員による緊急時の対応能力向上やミスの防止を図る訓練を取り入れた。
安全意識は定着したかに見えたが、2005年には日航で、誤った部品の長期使用の判明や、パイロットによる管制指示違反などのミスが相次いで起きた。「教訓が生かされていない」。遺族らから改めて安全の徹底を求める声があがった。
国は06年、事故につながるリスクの芽を事前に把握し、原因を分析して未然防止を図る「安全管理システム」の導入を航空各社に義務付けた。日航は07年からヒューマンエラーに関するものは処罰対象としないなど、失敗を報告・共有しやすい風土づくりに取り組んできた。
国も報告が義務付けられていない軽微なミスの情報を収集する「航空安全情報自発報告制度」の運用を14年度に始めた。公益財団法人「航空輸送技術研究センター」を通じてパイロットや客室乗務員、整備士などから匿名で情報を募る。19年度は864件の報告があった。
機体のハイテク化が進んだ影響などで、航空死亡事故は世界的に減少傾向にある。事故の教訓を次の世代に伝えていく重要性は一段と増している。
日航は06年、御巣鷹山墜落事故の犠牲者が残した遺書や倉庫に保管していた残存機体を展示する「安全啓発センター」を開設した。「過去の事故に向き合い、安全が大前提とする意識づくりにつなげる」(安全推進本部)ためだ。
日航で事故当時から在籍する社員は全体の4%未満になった。御巣鷹山墜落事故の遺族らでつくる8.12連絡会の美谷島邦子事務局長は「乗り物は信頼あってこそ利用するもの。事故を一度起こすと、信頼を取り戻すのがいかに大変か、次世代にも伝えていってほしい」と話す。
1985年8月12日午後6時56分、羽田発伊丹行きの日航123便が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落した。乗客乗員524人のうち520人が死亡した。当時の運輸省航空事故調査委員会は、事故の原因を後部圧力隔壁の修理ミスとする最終報告書をまとめた。群馬県警は業務上過失致死傷の疑いで、日航やボーイングなどの関係者計20人を書類送検。前橋地検は全員不起訴処分とした。