淀川 名前も流転(とことんサーチ)
琵琶湖から海へ 12回改名 滋賀→大阪 府県境で変化
大阪を代表する河川、淀川は関西を一刀両断するかのように流れる。地図をたどってみると、瀬田川や宇治川など、場所によって名前が変わっていくことに気づいた。大阪市内では大川や道頓堀川など、淀川に連なるいくつもの川がある。淀川の名前がどこでどのように変わるのか、調べてみた。
大阪市内 分流や掘割ごとに
そもそも、「淀川」とは何だろう。国土交通省淀川河川事務所の長谷川広樹さんに聞くと、「法律上は水源の琵琶湖から大阪湾に流れ込む川のことです」との答え。地図上では琵琶湖に直結する上流域の滋賀県内では「瀬田川」、京都府内では「宇治川」となっているが、1級河川としての名前はどこも「淀川」なのだという。だが、一般に「淀川」と認識されているのは、京都と大阪の府境で、宇治川が桂川、木津川と合流してからだろう。
そこで、琵琶湖からの流れがどこで名前を変えるのか、現地を訪ね、川の流れを追ってみた。水源の琵琶湖から瀬田川が始まる地点は明確だ。両岸に国と滋賀県の管理区分を示す標識が立っていて、それを結ぶ線が境界であることが分かる。
さらに川沿いを下って滋賀県から京都府に入ると、天ケ瀬ダムのほとりで「淀川水系 宇治川」と書いた標識を見つけた。この間に境界があったはずだがはっきりとした表示は見当たらなかった。聞くと、滋賀県内では瀬田川、京都府内では宇治川と呼んでおり、山中の府県境が境界になるのだという。
さらに下って、京都と大阪の府境、桂川、木津川の合流地点の大山崎で「淀川」と書かれた標識を発見。そこから下流の標識は「淀川」が続くが、大阪市内に入ると再び名前が変わり出す。大山崎までは合流を繰り返す淀川だが、河口近くになると分流を繰り返すからだ。治水や利水のため掘割されたところも多く、分岐がとても複雑だ。
1910年、治水対策で淀川放水路が開削されて今の「淀川」ができ、古くからの本流は「旧淀川」と呼ばれるようになった。淀川は大阪湾まで一直線に注ぐが、旧淀川はたびたび名前を変える。中之島までは大川、その先は堂島川と土佐堀川に分かれ、中之島の西で再度合流したあとは安治川と木津川に再び分岐する。安治川は治水用の人工河川で、このような不自然な形になったようだ。
琵琶湖からの流れを一筆書きにたどると12回も名前を変えるルートがある。瀬田川→宇治川→淀川→大川と来て、土佐堀川から南に分岐する東横堀川は西に曲がると道頓堀川になり、木津川を横断して下ると、岩崎運河、尻無川などを経て大阪湾に注ぐ。
これほど多くの名前があるのは、この川が長い間、関西の生活や文化を支えてきた証し。それぞれの名前の裏に、そこで生きてきた人々の歴史が刻まれているのだ。
(大阪写真部 尾城徹雄)