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敵将への敬意伝え400年 徳川の忠臣の鎧、大阪城に展示(時の回廊)

大阪市

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大坂の陣から400年の節目を迎え、にぎわう大阪城天守閣(大阪市)。数ある展示品の中で、訪問客がとりわけ足を止めて見入る戦国の鎧(よろい)がある。「紺糸素懸威(こんいとすがけおどし)二枚胴具足」。徳川家康の忠臣として知られる鳥居元忠が着用した、と伝わる逸品だ。

伊予札(いよざね)と呼ばれる長方形の革板を紺色の糸で綴(つづ)った胴部には、一面に金箔が貼られている。袖や佩楯(はいだて)も金に輝く。胴の下に垂れる草摺(くさずり)は朱色。武将が戦場で華美を競い合った安土桃山時代にふさわしい威容だ。大阪城天守閣の宮本裕次研究副主幹は「歴史ファンや外国人観光客に人気の高い所蔵品の一つ」と話す。

西軍が討ち取る

元忠は1539年生まれ。家康が駿河・遠江(現静岡県)の大名、今川義元の人質となっていた少年時代から近侍し、三方ケ原や長篠など徳川家の主要な合戦に参加した。家康が江戸に入った1590年には、下総矢作(現千葉県香取市)に4万石を与えられて大名に列した。

1600年の関ケ原の戦いでは、西軍を食い止めるために京都・伏見城に千数百人の手兵で籠もり、城と運命を共にした。現在、大阪城に展示される鎧は、この時に元忠が着用したもの、との伝承を持つ。

なぜ伏見で散った徳川の忠臣の遺品が、今は大阪城にあるのか。そのきっかけは元忠を討ち取った西軍の武将、鈴木重朝の子孫が15年ほど前、大阪城天守閣に展示されていた関ケ原合戦の絵巻を鑑賞したことだった。

絵巻には伏見城で重朝と元忠が一騎打ちをする場面が描いてあった。「元忠が纏(まと)う鎧の色彩や形が実物と違うのでは」。実は紺糸素懸威二枚胴具足は、鈴木家に代々伝わっていたものだった。問い合わせを受けて宮本副主幹らが調べたところ「絵巻は後世に想像で描いたもの。一方、この胴具足は元忠の遺品の可能性がある」との結論に至った。

宮本副主幹は「有力武将を討ち取った際、その具足などを名誉として家宝とすることはよくあった」と説明する。

伏見城での重朝の戦功に対し、西軍の総大将だった毛利輝元らが贈った「鳥居元忠を討ち取り、豊臣秀頼様もお喜びだ」などと記した感状も現存。論拠の一つとなった。

子孫から寄贈

徳川の天下となった後、水戸徳川家に仕えた鈴木重朝は元忠の子・鳥居忠政を訪ね、甲冑(かっちゅう)などの返還を申し出た。忠政は感激しながらも「名誉と共にご子孫に伝えてほしい」と丁重に断った――。こんな逸話が、様々な江戸期の古文書に記録されている。

ただし忠政は、重朝が所蔵していた父の血染めの肌着だけは引き取ったとされる。鳥居家が江戸期に領した栃木県壬生町にある精忠神社のご神体となっている。

鈴木家では代々、元忠の命日には鎧を床の間に飾り冥福を祈ってきたが、よりよい保存のため、新たに縁のできた大阪城天守閣に2003年に寄贈した。年に数カ月間、不定期で展示される際には鳥居家の子孫らも見学に訪れるという。その輝きは400年の時を超え、かつての敵将への敬意と共に守り伝えられる。

文 大阪社会部 塙和也

写真 伊藤航

〈より道〉 天下分け目の舞台、公園に

1600年、徳川家康が天下を取る契機となった関ケ原の戦いの火蓋が切られたのが、京都・伏見城だった。

家康はこの時、会津の上杉景勝を攻めるために諸大名を引き連れて下野小山(現栃木県)にいた。大坂での石田三成の挙兵を予想していた家康が鳥居元忠に伏見城を預けたのは、家中でもとりわけ信頼していたからだという。

宇喜多秀家率いる数万の西軍は、元忠らが籠城する城を包囲。奮戦むなしく城は落ち、大部分を焼失して、元忠も討ち死にした。

この伏見城は1597年、豊臣秀吉が築いたものだ。関ケ原の合戦後に家康が再建。1603年、朝廷から征夷大将軍の宣下を受けたのは江戸城ではなく再建された伏見城だった。

だがその城も後に破却され、大手門などの建物はすべて各地の社寺に移築された。近代になると本丸などの跡地には明治天皇と皇后・昭憲皇太后の陵墓が造営された。

城跡の一部は1960年代、遊園地となり、そのシンボルとして洛中洛外図に描かれた伏見城をイメージした模擬天守が建設された。2003年に閉園したが、一帯は現在も京都市が公園として管理し、住民の憩いの場となっている。

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