もっと関西 地元愛 おおらかさが原点 前尼崎市長 白井文さん(私のかんさい)
女性の挑戦 支え続けたい
■全国最年少の女性市長として2002年に兵庫県の尼崎市長に初当選した白井文さん(57)。客室乗務員を経て人材育成会社を起業した後、市議会議員から「市民派」の首長となった異色の経歴を持つ
生まれ育ったのは尼崎。物心つけば、市役所を目にしながら育った。都会への発展を続けながらも、昔ながらの粗野な味わいを残す空気に居心地の良さを感じ、幼稚園から小中高と地元に近い場所を選んだ。
高校卒業と同時に全日本空輸の客室乗務員に。勤務地に成田国際空港(千葉県成田市)を選ぶ機会もあったが、大阪国際空港(伊丹空港)を希望した。
入社後も大阪外国語大(現大阪大)に学籍があったが、社会で活躍することの充実感を知り、中退を申し出た。20代前半で新人の指導を任され、15人前後の部下を引き連れてジャンボ機のリーダーも務めた。働く現場で組織論やリーダーシップを学んだ。
ただ、社内での将来像は描けず、30歳を迎えた時に退職を決意。自身の経験を生かして人材育成会社を尼崎市内で経営していた33歳のころ、市議会のカラ出張問題が社会問題化した。たびたび憤りを口にしていた私に、母が市議選への出馬を促し、不正への怒りに任せて立候補を決意。9年後、市長に就いた。
■当時、最年少の女性市長として全国が注目。就任後に重点を置いた市政の透明化や赤字財政の再建といった政策は、地元に対する愛着の表れという。
幼いころから気になっていたのは、地元が「アマ」と呼ばれていたこと。自分は意地を張って「アマガサキ」と言い返してきたが、呼び名を変えるには地域社会を変えていくしかない。そんな気持ちを市政に反映させた。
宝探しをする気持ちで見渡したら、面白い人やオンリーワンの企業はたくさんいた。こうした人や会社をどう生かすか。市政の説明だけでなく、市民の意見を聞こうと、高齢者施設やスーパーマーケットなどに何度も出向いた。職員にも「私が分からないことは市民も分からない」と口を酸っぱくして伝え、行政用語は使わず、平易な言葉で説明するよう声をかけた。
十分やりきったとの思いから3期目への出馬を見送ったところ、後任市長も女性が当選。政策のバトンを信頼できる人につなげて満足だった。自分の後、京都府木津川市や大津市など関西を中心に女性首長が次々と生まれている。
■市長退任後は講演活動などを通じ、女性の働き方や政治参加について、経験に基づいて語る。女性参画の必要性が一段と求められる今日、自身の役割を改めて見つめ直す。
関西の特長は、東京中心の価値観に左右されないおおらかさと、人と人とのつながりの深さ。こうした点が女性のトップを生み出す土壌になっている部分もあると思う。振り返れば、客室乗務員時代の同僚や市長、市議時代の職員、地元の支援者ら、支えてくれたのは、いつも女性だった。
自分自身、キャリアアップのために将来の絵を描いたことはない。ただ、周囲から「青くさい正義感が端々に出ている」とは言われてきた。生まれ育った風土が今の人格と立場を生み出してくれたのだろう。
今の女性たちは仕事をしなやかにこなしながら、私生活を楽しんでいる人たちがどんどん増え、頼もしい限り。地元だけでなく、広く全国に向け、チャレンジする後輩たちを支えていける存在でありたい。
(聞き手は大阪社会部 松浦奈美)