春秋
詩人・作詞家、西條八十は兜町の喧噪(けんそう)から生まれた。ほとんど無一文の大学生は家族を養うために証券取引所に通っていた。天井知らずの好景気に大金を手にしたが、第1次大戦後の大暴落で霧と消える。当時の生活や心境が後の童謡や流行歌のヒントになったという。
▼このころ、漱石門下の作家・鈴木三重吉が訪れて、雑誌「赤い鳥」に執筆を依頼する。童謡「かなりや」が全国で歌われるようになり、文筆での生活にめどが立つ。同じ雑誌に、英女性詩人ロセッティの「誰が風を見たでしょう?」も訳して掲載している。風は目に見えないけれど、木の葉を振るわせて、通り過ぎてゆく。
▼車に乗っていて風を感じるには窓を開けるだけでいい。季節の外気が頬をなでていく。その外気を測定したと、スズキは装っていた。三菱自動車に続いて発覚した燃費データの不正だ。違法な方法で室内で測ったのに、気温や風速などの気象条件を書類に記入し屋外に見せかけていた。国交省は不正隠しが狙いとみている。
▼西條八十は鋭敏なアンテナの持ち主だった。作品は外の夜風や雨音、人の声で満ちている。外気までいつわる自動車メーカーの受信性能はどうだろう。消費者の声は風のようだ。そよ風から強風まで。時に方角だって変わる。感度が鈍っているようでは、消費者の心も見えないのではないか。肝心の信頼がすり抜けてゆく。