元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日午前7時40分、心不全で死去したことが発表された。

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アントニオ猪木さんが死んだ。覚悟していたとはいえ、朝、電話を受けた時はショックだった。

一昨年の11月、フリーアナウンサー古舘伊知郎さん(67)がYouTubeで猪木さんとコラボすることが内定した時、マネジャーから相談された。「議員とプロレスのアントニオ猪木、そして古舘伊知郎を別々に担当したことがあるのは、スポーツ紙でも僕だけです。お任せください」と大見えを切って取材日も決定した。だが、猪木さんが病に倒れ、延期になった。いつか、また会えると不屈の闘魂に期待していたが、かなわなかった。

子供の頃からファンだったアントニオ猪木の“番記者”になれたのは、1989年(平元)に参院選挙に出馬した時だった。プロレス記者ではなく、スポーツ紙の社会面の“政治記者”としてだった。

数年前の新日本プロレスのクーデター騒動でたもとを分かったはずの、新間寿氏(87)がスポーツ平和党の幹事長として陣頭指揮を執り「国会に卍固め」「消費税に延髄切り」というキャッチフレーズを掲げて、参議院議員に当選。見事に“国会議員プロレスラー”になった。

国会議員となったアントニオ猪木議員が、初めてプロレスの試合に出場する日。“政治記者”として取材に行った。部外者は禁止のはずなのだが、顔見知りの夕刊紙のプロレス記者が控室のアントニオ猪木議員のところへ連れて行ってくれた。一般紙の記者、他の朝刊スポーツ紙社会部記者はシャットアウトだった。

そしてインタビュー前に「国会議員になったんだから、猪木さんに借金がいくらあるか聞いてきてよ」と託された。当時の猪木さんはアントンハイセルというエネルギー再生事業に莫大(ばくだい)な投資をしていた。その借金が膨らみ、それが新日本プロレスのクーデター事件の遠因とも言われていた。

世間の懐疑的な目をはね返しての当選に、猪木さんはご機嫌だった。プロレスのこと、政治のこと、急きょ聞き語りの連載を始めたいと言うと、その場で「風の声」という題字をマジックで、その場にあった色紙へ書いてくれた。

そして「借金はいくらぐらいあるんですか」という質問をぶつけると、しばらく考え込んでから「10億円くらいまでは自分でも、いろいろ考えていたんだけどね。その先は分からなくなった」と答えてくれた。

インタビューを終えると、プロレス記者たちに囲まれた。「借金のことは、どうした」と言われたので「10億円くらいまでは覚えているけど、それ以上大きくなって分からなくなったと言っていた」と答えると、「本当に聞いちゃったのか」と驚かれた。

忖度(そんたく)という言葉など、全く知らなかった若き日の思い出だ。後にプロレス担当になった時に、酒の席で猪木さんに話したら笑っていた。

新米政治記者の質問に、素直に答えてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】