プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月1日付紙面を振り返ります。2004年のこの日は、K−1での曙VSボブ・サップを報じています。

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<K−1:Dynamite!!>◇03年12月31日◇ナゴヤドーム

 曙太郎(34)が衝撃的な初回KO負けで玉砕した。野獣ボブ・サップ(29)の右強打に失神した。開始から真っ向から打ち合いを挑んだ。しかし、2分すぎに右ストレートを浴びてダウン。何とか立ち上がったが、再び右ストレートを顔面に受けて前のめりにリングに沈んだ。元横綱の格闘家デビュー戦はわずか2分58秒で終わった。試合後、曙はK−1側にサップとの再戦を直訴した。

 幕切れは衝撃的だった。1回終了間際、サップの右ストレートが元横綱の顔面を貫いた。220キロの巨体が失神したままリングにダイブした。うつぶせに倒れ込んだ曙はピクリとも動かない。レフェリーがカウントをやめて試合を止めた。勝者のサップも慌てて曙の元に駆け寄った。

 開始ゴングから乱打戦になった。曙が左ジャブとアッパーで野獣を後退させた。サップの反撃は相撲の押しで封じた。しかし相撲と違い、押し出しはない。「コーナーに詰めても勝負は終わらないんだと…」。2分すぎ、たった1発で事態は急転した。コーナーを背負ったサップの右強打を浴びて前のめりにダウンした。カウント9で立ち上がったが、ひざが揺れていた。もう闘い続ける力は残っていなかった。最後は体ごとぶつかり、玉砕した。

 格闘家として自信を秘めてリングに立った。この1カ月半、毎朝40分間のランニングをこなし、午後に2時間のジムワーク。食事も野菜や果物中心のメニューに変えた。「自分でも肉体の変化が分かった」。そして何よりも元横綱としての誇りがあった。勝利を確信してリングに立った。しかし、経験不足を補うには時間が短すぎた。

 曙はクリスティーン・麗子夫人(32)と3人の子供を会場に呼んだ。横綱時代の勇姿を、子供たちは覚えていない。流血戦になるかもしれない。負けるかもしれない。それでも「精いっぱい闘う父の姿を子供たちの目に焼き付けてほしかった」(曙)。

 曙はサップとともに試合後の会見場に現れた。意外にも表情は晴れやかだった。「限られた時間の中でやるだけのことはやった。ボブ選手は強かった。初めての経験でリングに上がったら頭に血が上って、やってきたことを全部忘れた。2度目のダウンは時間が人生からなくなった。悔しいけどすっきりしている」。言い訳もせず、悪びれもせずに、潔く本音を語った。

 K−1の谷川イベントプロデューサーにはサップとの再戦を要求した。4月以降に実現する可能性もある。「ボブ選手が挑戦を受けてくれるならやりたい。今回以上にいい準備をして、いい状態でリングに上がる。明日から練習します」。横綱のプライドもろともリングにたたきつけられた。しかし、惨敗が曙の天性の格闘魂をさらに激しく燃え上がらせた。

※記録と表記は当時のもの