学生時代の恋愛を貫いての結婚。しかし、正直者すぎる渡さんは婚約会見で、こんなことを口にしていた。
「ほかの女性に目移りしたこともありました。別れ話も二、三度ありました。浮気も多分、これからも多少…」
手編みの座布団
そういう時代だった、と言えなくもない。しかしこのとき、渡さんの頭には、昭和を代表する、ある女優の姿が浮かんでいたのかもしれない。
《夏の海が大好きだった渡さんは、泳いで泳いで恒彦さんのところに行ってしまったのでしょうか》
3年前に亡くなった渡さんの弟の渡瀬恒彦さん(享年72)が待つ天国へ旅立った渡さんを、独特な表現で悼んだのは吉永小百合(75才)だ。
渡さんと吉永は、1966年の映画『愛と死の記録』で初共演。このとき渡さんは25才で吉永は22才。若い2人はすぐに急接近した。
「あの映画には、中尾彬も出演していたんだけど、当時は中尾が小百合ちゃんにラブレターを送ったりして、入れ込んでいた時期でね。その相談相手が、渡さんだったんだよ。初めて出会ったのは広島のロケ地だったはず。渡さんは、大学時代から憧れていた小百合ちゃんの前でガチガチだったそうですよ。素人同然でデビューした翌年のことでしたからね。でも、その雰囲気が小百合ちゃんにはかえって新鮮で、惹かれるものがあったんでしょう」(映画関係者)
別の映画関係者も、吉永が渡さんに思いを寄せていく様子をよく覚えているという。
「小百合さんは手先が器用でね、手編みの座布団を渡さんに贈っていた。渡さんは『ありがたくないな、こんなものを。恥ずかしくて使えないよな』と頭を掻きながらもうれしそうにしていましたね。当時、小百合さんのことを“カミさん”って呼んでいました。みんなは“小百合ちゃん”だったけど『愛と死の記録』で恋人役を演じてから、渡さんだけ“カミさん”でした。誰から見ても相思相愛でしたよ」
2人の交際は2年ほど続き、当然の帰結として結婚も考えていたという。しかし、それは許されなかった。『吉永小百合の愛し方』(ベストセラーズ)著者の山科薫さんが語る。