Loading...

TOP > おでかけトピック > トピック情報
EVENT

将校、詩人が見た戦争 ゆかりの人物の特別展 たつの

ツイート facebook シェア

更新日:2020年07月29日

  • 田中静壱(左端)と西田正雄(右端)の家族写真=龍野歴史文化資料館(同資料館提供)

  • 内海信之

  • 西田正雄の海軍軍服など遺族からの寄贈品=龍野歴史文化資料館

  • 田中静壱が家族に宛てた書簡。インターネットオークションに出品され、地元の郷土史家が購入した=龍野歴史文化資料館

 たつの市立龍野歴史文化資料館(兵庫県たつの市龍野町上霞城)は、戦後75年の節目に合わせた企画展「あの日を生きた先人たち」を8月1日から開催する。たつの出身の高級軍人らが残した書簡など初公開資料のほか、反戦詩人によるヒトラー批判の詩など約200点を展示。郷土ゆかりの人物の目を通して、戦時国家の姿を浮き彫りにする。(直江 純)
 紹介している先人の一人は、陸軍大将の田中静壱(しずいち)(1887~1945年)。同市揖西町出身で、終戦時のクーデター未遂「宮城(きゅうじょう)事件」を解決に導いたことで知られる。1934年の駐米時にフランクリン・ルーズベルト大統領と面会した様子を田中の妻が手紙に書き残しており、公開は今回が初めて。「如才ない印象」を受けたことなどが記されている。
 田中の義弟で同市神岡町出身の西田正雄(1895~1974年)は、沈没した戦艦「比叡(ひえい)」の艦長で海軍大佐。1930年のロンドン軍縮会議に山本五十六(後の連合艦隊司令長官)らと随行しており、英国から家族に送った絵はがきや長旅に使ったトランク、軍服の礼装など、遺族が同館に寄贈した資料が展示される。
 揖西町出身の詩人・内海信之(1884~1968年)は、1939年に「ヒツトラーに与(あた)ふ」との作品を発表した。「偏見と卑情を煽(あお)り ユダヤ人を殺し、家を壊(こぼ)ち」とナチス政権を痛烈に批判した詩で、新宮義哲館長(50)は「日独が急速に接近した時期に正面から批判したことは、もっと注目されていい」と話す。展示では詩をパネルにし、朗読映像でも紹介する。
 内海は戦中には旧揖西村長を務めており、展示する戦死者への弔辞草稿には、若き命への哀惜の念がにじむ。戦後の自叙伝には、公職者として戦争に協力せざるを得なかった苦悩を記している。
 新宮館長は「名のある人も一般市民も、軍国主義の渦に巻き込まれた時代だった。さまざまな立場から見た戦争を、資料を通して学んでもらえたら」と観覧を呼び掛けている。
 9月13日まで。原則月曜休館。午前9時~午後5時。一般200円(65歳以上と、小学生から大学生は100円)。同館TEL0791・63・0907
【宮城事件】1945年8月14~15日、ポツダム宣言受諾に反対し徹底抗戦を主張する青年将校が一時、皇居を占拠し、玉音放送の録音版を奪ったクーデター未遂事件。首都圏を管轄する東部軍管区司令官だった田中静壱が反乱軍の説得に尽力した。田中は残党の反乱を解決し、8月24日に自決した。

明日どこ行く?

SEARCH
話題のキーワード
ページトップへ