会員限定記事会員限定記事

集大成の渡部暁斗に熱いエール ノルディック複合世界選手権金メダルの小林範仁さん

「経験を最大限に生かしてほしい」

 冬季五輪のノルディックスキー複合で過去2大会続けて銀メダルを獲得した渡部暁斗(33)=北野建設=は、今回の北京大会が5度目の大舞台になる。若き日の渡部暁にエースの座を託した形になったのが、2011年に現役を退いた小林範仁さん(39)だ。明るいキャラクターで日本の複合チームを引っ張り、渡部暁とは09年世界選手権で団体金メダルの喜びを分かち合った間柄。集大成の戦いに臨む後輩に、「きれいな色のメダルを取ってほしい。これまでの経験を最大限に生かして」とエールを送る。(時事通信運動部 山下昭人)

◇ ◇ ◇

 小林さんは秋田県出身。1994年リレハンメル五輪で荻原健司が日の丸を手にしながら団体金メダルを決めるゴールシーンに憧れ、複合を志した。高い走力を武器に世界ジュニア選手権やユニバーシアードの制覇、五輪3大会連続出場などの実績を持ち、特に大舞台での思い切りの良いパフォーマンスが鮮烈な印象を残した。

ハイライトは2009年

 競技生活のハイライトが、チェコのリベレツで開催された09年世界選手権の団体。アンカーを務めた後半距離の最終盤で強豪に競り勝ち、それまで不振が長引いていた日本チームを14年ぶり金メダルへと導いた。

 当時、団体メンバーに起用されたのは小林、渡部暁と湊祐介、加藤大平だった。前半飛躍は5位で、「いつも通りの位置だなと、みんな思っていた」(小林さん)。期待度が高いとは言えない中で、4人が5キロずつ走ってリレーする距離に入ったが、雰囲気は一変する。

 この大会では個人ノーマルヒルで6位に食い込むなど好調だった湊が1走を任されると、首位との24秒差を挽回。先頭集団の最前方に出て2走につないだ。団子状態でレースで進む中、世界トップクラスの飛躍に比べて距離が不得手な2走の加藤、20歳のチーム最年少で早大生だった3走の渡部暁も上位で踏ん張る。アンカーは小林。「これはいい勝負ができる」と気持ちが高まった。

ワックスが大当たり

 フランスとオーストリアが脱落し、先頭集団はノルウェー、ドイツ、日本の3チームになっていた。表彰台確保は濃厚だったが、小林は金メダルに狙いを絞っていた。気温が高く、湿気が多くなった雪質に合わせてスキー板に塗ったワックスが大当たり。明らかに滑走性が良いと感じていたが、ライバルに悟られないよう後方でレースを進めた。

 「はっきり言って、ずるい走り方をしていたんです。周りから見れば『ついていくのに必死。脚がパンパンで走れないよ』という感じの、僕なりのパフォーマンスをしていました」

 ワールドカップ(W杯)通算25勝を挙げたモアン(ノルウェー)、同3勝のエデルマン(ドイツ)との優勝争い。残り1キロを切り、坂を登り切った2人が一瞬力を抜いた隙を見逃さず、小林は後方から一気に飛び出した。1人が2.5キロを2周するコース。1周目でも2人のスピードが緩んでいた坂で勝負を懸けると決めていた。

「お祭り男」の真骨頂

 それまで相手を風よけに使いながらためていた脚力を全開にし、リードしたままゴール前の直線に入ると「もう、もらったな」。90年代の黄金期から一転、距離が重視されるルールに変更されてから低迷続きだった日本チームに待望の勝利をもたらした。フィニッシュラインを切る前から大きなガッツポーズをして、背後から肉薄したエデルマンとの写真判定になったのはご愛嬌(あいきょう)。「コンバインド(複合)はこれで復活」と宣言した。

 自他共に認める「お祭り男」は、2010年バンクーバー五輪でも見せ場をつくった。個人ノーマルヒルの前半飛躍で12位につけると、後半距離は先頭集団に加わり、残り約1キロでスパートしてトップへ。最後は7位にとどまったが、金メダルの夢を一瞬抱かせた大舞台での走りはインパクト十分だった。

 「引退してからもその時の話になりますね。印象に残らないままの4位、5位よりは良かったのかな」

練習で「エースの前に出る」

 11年に28歳で現役を引退。自分が抜けたチームで軸になるのは「もちろん(渡部)暁斗だなと思っていた」と小林さん。「彼はすごく真面目。昔から全然浮ついたところがなくて。研究熱心で、よく考える選手でした」と振り返る。

 北京五輪シーズンに入る前の昨夏、小林さんは渡部暁と会って昔話に花を咲かせた。

 スピードトレーニングで荻原健司さんの後について走っていた小林さんは、ある時に自分が前に出るように意識してから速く走れるようになった実感がある。現役時代、その経験を踏まえて渡部暁に助言したことがあったそうだ。「暁斗も僕の前に出られない時があった。彼によれば、『いつまでも後ろを金魚のふんみたいに走っていても、俺より速くなれないよ』みたいなことを範仁さんに言われたと。でも、僕は言った記憶が全然ないんですけどね」

 手首のけがを抱えた渡部暁が思うようにならないもどかしさを態度に表した際、小林さんがたしなめたことも。「自分にもそういう時があった。彼はそこで気持ちを切り替えて頑張ったと言っていました。『俺もいいこと言うもんだね』と爆笑しました」

後輩から力強いメッセージ

 北京五輪に挑む渡部暁は今季、W杯個人戦で一度も表彰台に立っていない。W杯優勝を重ねて本番に入った4年前の平昌五輪に比べると厳しい状況にも映るが、小林さんの期待は変わらない。「僕は逆に、いいと思っています。それなりの重圧がある中での戦い。外国人選手はメダル候補と言われる中でやる。今回の北京にはチャンスはある」。最近、渡部暁とSNSで連絡を取ると「ジャンプの調子が上がってきた。走る方はここ数年で一番いい」と力強い返事があったと明かす。

 小林さんは現在、出身地の放送局である秋田テレビに勤務している。報道や営業の仕事に携わり、昨夏には秋田県で予定されるスキー国体の機運を高めようとイベント開催を企画。同じ秋田出身で同時期に活躍した高橋大斗さんや渡部暁をゲストに招き、スキースクールやトークショーで楽しい時間を過ごした。「外からスキー界を盛り上げたい」と意気込む。「オリンピックでメダルを取って、ノルディック複合の名前をテレビや新聞で見たい。暁斗が取ってくれれば『実は彼に秘策を授けていたんですよ』という話もできますので」。そう言って、豪快に笑った。

◇ ◇ ◇

 小林 範仁(こばやし・のりひと) 秋田県出身の39歳。選手だった父の影響で幼少期からスキーに親しみ、中学生になってからはノルディック複合に取り組む。秋田・花輪高から日大へ。2001年の世界ジュニア選手権を制し、03年ユニバーシアードで3冠を達成。09年世界選手権の団体でアンカーを務めて金メダルに輝いた。五輪は日大在学時に出場した02年ソルトレークシティー大会から3大会連続で出場し、10年バンクーバー大会の個人ノーマルヒルで7位入賞。ワールドカップ(W杯)個人戦の最高は4位。11年に現役を退き、現在は秋田テレビに勤務。スポーツ報道にも携わった。

(2022年2月7日掲載)

◆スポーツストーリーズ 記事一覧

話題のニュース

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ