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◆コラム◆ 「平成の大横綱」去りて
 若林哲治の土俵百景

「相撲」にならなかった戦い

 10月6日、千葉ポートアリーナ。秋巡業は、多くの観客でにぎわっていた。あの親方が審判として土俵下に座っていたら、お客さんは喜んだだろうが、そうかといって審判を目当てに入場券を買う人はまずいない。主役は力士。稀勢の里や御嶽海に大きな声援が飛ぶ。貴景勝の元気な姿もある。「何だか表情が変わった」と話す関係者がいた。

 1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方が、理事選挙に初めて立候補を表明し、二所ノ関一門に反対されて飛び出したのは2010年だった。6人の親方が行動を共にし、その1人が電話の向こうで一門の対応を怒った。

 「一代年寄を何だと思ってるんだ。横綱が10人、束になってもかなわない存在だぞ」

 しかし、私に怒った親方が、わずか2年後には貴乃花親方と一線を画していた。あれから今日まで、同じようなことを何度耳にしただろう。

 この8年余は何だったのか。片や貴乃花親方はがっぷり組まず、離れて一見派手な突っ張りを繰り出し、協会は最近、理論武装も考えて攻守兼備にはなりつつあるが、勝負と見るや性急に前へ出る。「相撲」になっていなかった。

 内閣府への告発状をめぐっても、かみ合わなかった。告発状では相撲協会の暴力隠蔽体質を指摘し、根拠として、元日馬富士による暴力事件に加えて他の部屋で数年前に起きた若い衆同士の暴力沙汰への対応も例に挙げているという。

 協会側は、具体的な事実関係や時系列などに誤りが多いとして、取り下げ後も貴乃花親方の認識を問うた。理事の1人は「直接質しても、告発状の文面は弁護士が書いたからと言うだけで、やりとりも文書で、前に進まなかった」という。

 貴乃花親方は「引退記者会見」で、告発状の正しさを立証するつもりは「ありません」と答え、「現在は」と付け加えたが、その時が来たとしてもどの土俵でどう組み合うのか。

 そして最後の引き金になった一門所属義務。一門という古い印象の制度を前面に出した協会のやり方は、スマートとは思えない。それでも、秋場所中から複数の役員が「部屋をつぶすとか辞めさせるとか、あり得ない」「組織としてそんなことをしたらどうなるか。俺たちだって分かっている」と言い、「八角理事長(元横綱北勝海)が阿武松親方(元関脇益荒雄)に何とかまとめるように言っているよ」との動きも伝わってきた。

 どうやら二つの一門が、最終的に貴乃花親方の受け入れを考えていたようだ。理事長の師匠、北の富士勝昭さん(元横綱)も「最後は(理事長が所属する)高砂一門でと思っていた」という。ただそれら一門は協会の中枢として、理事会決議の遂行を図る大義からであり、積極的に誘うものではなかった。貴乃花親方の「一兵卒」宣言の本気度を見極めることが目的の一つだったからだが、何より「平成の大横綱」が、みんなでどうしても引き止めたい存在ではなくなっていたことが、言いようもなくむなしい。

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