「本橋の『戻ってきたい』って言葉に喜んだ関係者は多かった。だけど、ここには競技をしながら働ける企業があるわけじゃない。苦労するだけだと思った」。本橋がカーリングを始めた子供の頃から成長を見守ってきたNPO法人「常呂カーリング倶楽部」事務局長、鈴木繁礼(しげのり)さん(63)はこう打ち明ける。
「簡単なことではない」と諭す鈴木さんに、本橋は揺るぎない決意を語った。
「高校生と一緒でもいい。大学生を育ててもいい。人や地域とつながったクラブチームをつくって五輪を目指す」
長野や札幌に散った地元出身の選手たちを呼び寄せた。それぞれの所属先やスポンサー企業も探した。「彼女はオリンピアンの肩書をかなぐり捨てて必死だった。慣れないスーツを着て、頭を下げて企業を回る。応援せずにはいられなくなってしまった」と鈴木さんは振り返る。
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1試合でも多く
LS北見の選手たちは今、練習をメインに活動しながら、地元の体育協会や医療法人、民間企業などで勤務し給料を得ている。スキップ(司令塔)の藤沢五月(26)が勤務する保険代理店「コンサルトジャパン」の社長、近藤充広さん(45)は27年春、知人を通じて、本橋が所属先になってくれる企業を探していると相談を受けた。
北見から五輪へ。熱っぽく語る本橋の姿に突き動かされた。だが同社はスポーツ選手の支援をした経験がない。「社長が勝手に変なことを決めてきたぞ、と社員は思ったのではないか」と苦笑する。
今では地元を中心としたスポンサー約20社に支えられている。ここまで支援が広がったのは「職場や地域での交流を通じて、選手が夢だと語った五輪を、自分自身の夢として応援する人が増えた証しでは」と近藤さん。1試合でも多く五輪の舞台で戦い続けてほしい。そう願いを込めて声援を送る。(石井那納子)