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ミスタードラゴンズ高木守道さん死去(78歳) バックトスは永遠に

2020年1月18日 02時00分

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笑顔でノックする高木監督=2013年2月1日、北谷球場で(浅井慶撮影)

笑顔でノックする高木監督=2013年2月1日、北谷球場で(浅井慶撮影)

 さらば「ミスタードラゴンズ」-。現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日午前4時、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。なお、葬儀・告別式は家族葬で営まれる。
 突然の訃報だった。関係者によると、高木さんが亡くなったのは同日未明。前日から風邪気味で名古屋市内の自宅で寝ていた高木さんは、午前2時前後に「体が痛い」と夫人に訴えて体をさすってもらっていた。その後、午前2時半ごろに夫人が部屋を離れ、戻ってきたときに息を引き取っていたという。病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。
 2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていたという。年末年始は子どもや孫ら家族と過ごし、年明けにも趣味のゴルフの予定を入れるなど、健康に過ごしていた。
 今月12日には名古屋市のCBCラジオ「板東サンデー」に出演。パーソナリティーで親友の板東英二さん(79)とともに現役時代の思い出話を披露。同番組では来月15日に名古屋市内でイベントが予定されていることも告知していた。
 現役時代は名二塁手で君臨し、監督時代も強いインパクトを残した。1次政権の1994年には、今や語り草となった「10・8決戦」で長嶋巨人と激突。さらに12年からの2次政権ではチームスローガンを「ジョイナス」と掲げ、積極的にファンサービスに努めた。その一方で、当時の流行語にひっかけ自ら「暴走老人」と呼び首脳陣との意見が衝突したことも。いずれにせよ、日本球界最高の二塁手は、多くの野球ファンの記憶に残るのは間違いない。
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