三篠寮でキャッチボール

 1963年9月、広島東洋カープに入団。厳しい練習や食事の違いなどに戸惑った

 白石(勝己)監督の最初の一言がショックだった。「おまえ、ほんまに野球をやっとったんか」。同期入団の苑田(聡彦・現スカウト統括部長)と一緒にあいさつへ行った時だった。苑田はがっしりとした体格で「楽しみがあるの」と声を掛けられていたので、なおさらだった。当時は身長177センチで体重は56キロしかなかった。体が細かった。