現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. 舞台
  4. ステージレビュー
  5. 記事

ステージレビュー

理想郷の向こうとは 舞台「手をつないでかえろうよ」

2010年9月17日

  • 文・岩瀬春美

写真拡大「手をつないでかえろうよ」より

写真拡大「手をつないでかえろうよ」より

写真拡大「手をつないでかえろうよ」より

 俳優の今井雅之が、原作・脚本・演出・主演を手がけた舞台「手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜」が上演されている。9月1日、仙台からスタートし、9月26日、東京の千秋楽まで全国を巡る。

 舞台は、物理的には質素である。奥に2つの短い階段、手前にベンチ、ハンドルのついた棒、両サイドに平台、それだけ。そんなシンプルさとは裏腹に、ストーリーには、たくさんの奥深いメッセージが込められている。

 登場人物は8人。軽度の知的障害を背負った真人(今井)が主人公。幼なじみで妻の咲楽(田崎那奈)、真人が兵庫県の姫路から三重県の伊勢神宮へ、1人で車を運転して出かける旅の途中で出会った麗子(秋山実希)、ヤクザを親に持つ不良・緒方(重松隆志)、コンビを組む不良・砂川(豊島侑也)、真人の父・義男(及川いぞう)、新入りのヤクザ・平岡(江藤聖矢)、麗子の夫・剛志(豊島・2役)。

 皆それぞれ、“普通”の幸せをつかめずに、どんどん“不幸”になっていく。大きな罪を犯したり、やっとめぐり会えた家族さえも失ったりと、しんどい人生を送っている。それなのに、不思議と不幸な感じがしない。それはなぜか?

 じつは、登場人物がそれぞれ、愛し、愛されている。家を出た父に6年ぶりに会いに行った真人。そんな息子を父は最初、「もう来たらあかん」と突き放していたのに、両親の離婚の原因が自分に障害があったからでは、と思い悩んでいたのを知り、真人を抱きしめる。不幸な状況の中でも、このように心の通い合ったシーンが散りばめられ、あたたかい空気が漂っているからではないか。

 登場人物たちの演技は、人間味にあふれ、情がある。不良の緒方(重松)は、笑いをとるのが上手い。にらみをきかせたら、迫力満点だが、関西弁のするどいつっこみに、思わず笑いがもれる。真人と、コンビを組む不良の砂川と3人での軽快なボケ・ツッコミのやりとりは、まるで漫才のようだ。

 咲楽(田崎)の表情の変化にも注目したい。天真爛漫で無邪気な少女。いつも満面の笑みをうかべていたが、死が近づくにつれ、痛々しい表情に変わっていく。天照大御神(あまてらすおおみかみ)が大好きな咲楽。真人と結婚して、いつか新婚旅行で伊勢神宮へ行きたいと願っていた。いざ、真人と伊勢神宮へ向かう車の中、念願叶った嬉しさと、自分の死を予感しているような悲しさが入り混じった表情から、咲楽の心の内が手にとるように伝わってきた。

 タイトルの「シャングリラ」とは何なのか? 新婚旅行で伊勢神宮へ向かう車中、咲楽が言う。「夢のような理想郷って言われてるの。そこには苦もなく、犯罪も一切なく、慈愛と平和だけで満たされてるんや。その人の意識が、あるレベルに達したとき、シャングリラの高い波動に同調したとき、その理想郷が見えるの」。

 この作品を生み出した今井も、もしかしてシャングリラを感じているのではないか。記者会見で、「21年間、『THE WINDS OF GOD』で神風特別攻撃隊の話をやってきました。21年やっていなかったら、この台本(手をつないでかえろうよ)は生まれなかったし、この企画をやろうとも思わなかった」と述べている。

 伊勢神宮へたどり着いた麗子と真人。麗子は涙ながらに訴える。「人間はどうやって死ぬかじゃなく、いかに生きるか、なの」。「人殺しは人殺し。戦争のためなら、何百万人と殺しても罪にならない、どこかの大統領と一緒よ。それがわからないかぎり、人間に平和なんて永遠にこないわよ」。ストレートな麗子の言葉は、今井自身のメッセージそのものだ。

 ラストで、真人と咲楽は2人で手をとり合って舞台中央の階段を上っていく。まぶしいくらいの強い光とスモークがたちこめる幻想的な雰囲気の中、階段を上りきったところに、2人のシルエットが浮かび上がる。2人は、新たな生を授かり、シャングリラの向こう、来世で一緒になれたということなのだろうか。

 いや、もしかしたら、今井が描きたかったシャングリラは、自分自身の心の中にあるものなのかもしれない。世間のものさしや、自分自身の固定観念に流されるのではなく、そこに風穴を空けることができたら…、新たな自分に生まれ変われるかもしれない。決してたやすいことではないが、本人の気づき、考えかたひとつで、じつは、誰だってシャングリラの向こうへ行けるのではないか。

 血湧き肉躍る派手なお芝居ではない。しかし、数日後、あるいは数年後、この舞台のことは、人生の中で困難に直面したときに、きっと思い出すだろう。ゆっくり、じんわり、でも確実に心に沁みてくる作品だった。

◆薩摩宝山PRESENTS「手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜」

《兵庫公演》2010年9月18日(土)〜19日(日)、新神戸オリエンタル劇場
《東京公演》2010年9月21日(火)〜26日(日)、SPACE107
詳しくは、薩摩宝山PRESENTS「手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜」公演情報へ

スター★ファイル

今井さんインタビュー全文掲載

 この作品を生みだすきっかけになった米国での出来事などを今井さんにロングインタビューで語っていただきました。インタビューの全文は、「スター★ファイル」コーナーに「『手をつないでかえろうよ』全国ツアーへ 今井雅之、ロングインタビュー」として掲載しています。スター★ファイルの記事本文を読むにはAstand・ベーシックパック(月額525円)の購読が必要です。ベーシックパックの購読は、こちらから。

⇒「スター★ファイル」記事一覧へ
⇒Astand・ベーシックパックへ


検索フォーム


朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介