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マティアス・マタイス/ジョンズ・ホプキンス・ポール・ニッツスクール准教授(国際政治経済学)

■キャメロンの誤算

 本来、慎重で健全な政治的本能の持ち主であるデビッド・キャメロン英首相が、イギリスの将来をめぐって危険な賭けに打って出ている。キャメロンは2013年1月、イギリスと欧州連合(EU)の関係を規定する条約を再交渉し、2017年末に国民投票を実施してEUへの残留か離脱かを決定すると発表した。

 勿論、この計画は2015年の総選挙でキャメロン率いる保守党が勝利することが前提となるが、この流れによってイギリスがEUから離脱する可能性はこれまでになく高まっている。現実にイギリスがEUから脱退すれば、イギリスだけでなくヨーロッパ全体、さらにはアメリカも大きな打撃を受けることになる。

 合理的な政治的・経済的計算をすればロンドンがEUとの関係を絶つというシナリオが出てくるはずはなく、最終的に離脱するとすれば、それは不合理な判断ということになる。イギリスのEU懐疑論は、国家主権という時代遅れの概念にしがみつく保守党内右派グループの、ブリュッセルに対する理屈抜きの嫌悪感に根ざしている。この感情を裏付けるように、右派系のタブロイド紙はセンセーショナルなヘッドラインで埋め尽くされている。例えば、最近のデイリーエクスプレス紙の記事には、「EUは独仏が単一国家となることを求めている」、「イギリスの天然ガス資源を狙うEU」といったヘッドラインが付けられている。

 キャメロンは党内右派の突き上げに屈して、前任者たちと同じ罠にはまってしまったようだ。1980年代末から90年代半ばにかけて、マーガレット・サッチャーもジョン・メージャーも、欧州統合をめぐって党内が分裂するなかで辞任に追い込まれていった。1995年に、若き労働党党首トニー・ブレアは議会で保守党の分裂に言及し、「わたしは党をリードしているが、メージャーは党に従っている」と状況を批判した。

 保守党の党首に就任してから間もない2006年、キャメロンは再度選挙に勝ちたいのなら「ヨーロッパ叩きをやめなくてはいけない」と党内で発言している。しかし7年後の現在、保守党内ではEU懐疑論が再び高まり、大きな緊張が生じている。

 ただし、市民の多くは、EUとの関係などほとんど気にしていないようだ。2012年に行われた世論調査によると、イギリスが直面する最大の問題としてEUとの関係を選んだ有権者は回答者の6%に過ぎなかった。これに対して経済、失業問題、移民や人種問題を最重要アジェンダとみなす有権者は、それぞれ67%、35%、20%に達している。

 2013年1月の演説を通じて、キャメロンは四つの短期的な目的を実現したいと考えていた。

 第1は保守党右派と主張が重なり、その存在理由を脅かすイギリス独立党の勢いを止めることだ。ナイジェル・ファラージュ党首率いる独立党は、反EU・反移民を掲げる「イギリスにおける良識の擁護者」として「ブリュッセルの侵略に対する主権の番人」となることを自負している。第2の狙いは、その多くがイギリスのEU脱退を支持している保守党内のEU懐疑論を抑え込むこと。そして、第3の狙いは、EUとの関係という選挙には不利に作用する問題を2015年の総選挙後に先送りにすること。そして第4の狙いは、国内経済の不振を緊縮財政のせいではなく、ユーロ危機のせいだと印象付けることだった。

 しかしこの四つの狙いのすべてが憶測違いだったようだ。まずイギリス独立党は5月の統一地方選で25%近くの支持を確保し、予想を上回る躍進をみせた。保守党内のEU懐疑派は、総選挙前の国民投票実施を求め、キャメロン叩きを続けている。

 キャメロンが党内の強い反発を押し切って同性婚を認める法案成立を後押ししたこともあって、彼の指導力はこれまでになく低下している。彼の側近が党内の反対勢力を「偏見で怒り狂った愚か者たち」と呼んだことも火に油を注いでしまった。とどめは国際通貨基金(IMF)をはじめとする最近の研究報告が、緊縮財政の合理性とイギリス政府の経済戦略に大きな疑問を呈したことだろう。

 だがいまや、一人の首相の政治生命よりももっと重要なことが問われている。EUから脱退すれば、イギリスは今後長期的に経済的・政治的ダメージを抱え込むことになる。

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Matthias Matthijs ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院准教授(国際政治経済学)。フォーリン・アフェアーズに「ヨーロッパの新しいドイツ問題 ――指導国なきヨーロッパ経済の苦悩」(マーク・ブリスと共著、フォーリン・アフェアーズ・リポート2011年12月号掲載)を寄稿している。

〈続きはフォーリン・アフェアーズ・リポート10月号〉

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