“宇宙”から帰還したジェフ・ベゾス、その「10分10秒」の旅と無重力体験の価値

アマゾン創業者のジェフ・ベゾスらが7月20日、ブルーオリジンの有人宇宙船で“宇宙旅行”を終えて無事に帰還した。わずか10分10秒の飛行と無重力体験は、彼らにとっていかなるものだったのか──。当日の様子を『WIRED』US版エディター・アット・ラージ(編集主幹)のスティーヴン・レヴィが現地からレポートした。
Blue Origin
JOE RAEDLE/GETTY IMAGES

ジェフ・ベゾスは1994年、インターネットで書籍を販売する新会社を立ち上げるために、当時の妻マッケンジーと共にニューヨークからシアトルへとクルマを走らせていた。高速道路を制限速度で走行していたとすれば、ふたりは2,500マイル(約4,000km)の道のりを時速65マイル(同約105km)で進んでいたことだろう。

そしてベゾスは7月20日(米国時間)、いまや大きく成長したその会社で手に入れた数十億ドルの資金を元手に、人生で最も重要な65マイルを旅した。宇宙の玄関口へとまっすぐ上に向かい、わずか3分あまりでベゾスはその高度に到達した。彼は自らが所有するブルーオリジンが開発した弾道飛行型ロケット「ニュー・シェパード」の最初の搭乗者となったのである。

宇宙飛行を経験した580人のリストに名を連ねたのはジェフ・ベゾスと、ヴォランティア消防士で慈善家で、現在は株式ファンドを運営する弟のマーク・ベゾス(53歳)。女性宇宙飛行士の草分け的存在として知られ、女性であることを理由に「マーキュリー計画」の宇宙飛行士になる機会を与えられなかった82歳のウォリー・ファンク。そして、18歳の学生でありながら数百万ドルの入札でブルーオリジンで最初の有料顧客の権利を得たオリヴァー・ダーメンだ(ダーメンは実際には最高額落札者ではなく、当初2,800万ドルで落札した匿名の人物が「スケジュール上の問題」を理由に搭乗を延期したことで初飛行の搭乗権を得た)。そしてファンクとダーメンは、史上最年長と最年少の宇宙飛行経験者になった。

わずか10分10秒の飛行だったが、打ち上げから着陸まで完璧に進んだ様子である。飛行準備段階では自信に満ち溢れた熱狂的なクルーの様子が映し出された。そして最後は、短い宇宙飛行から戻って“宇宙飛行士”の仲間入りを果たして帰還したクルーを、愛する人たちが出迎えて歓喜に包まれた。

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手順を“スキップ”したベゾス

ベゾスが2000年に創業したブルーオリジンにとっては、ベゾスらを乗せた今回の短いサブオービタル(準軌道)宇宙飛行で待ちに待った有人宇宙飛行を達成できたことになる(これとは対照的に、1957年にロシアが世界初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げたあとに開始された米国の有人宇宙飛行計画では、わずか12年で月面着陸を達成している)。

ブルーオリジンの計画は慎重に進められてきた。同社のモットーは、ラテン語で「一歩ずつ、猛烈に」を意味する「Gradatim Ferociter」で、マスコットはカメである。

ところが、その慎重な歩みを1〜2歩ほどブルーオリジンがスキップするような出来事が今年になって起きた。

ブルーオリジンの最初の有人飛行の座席は、同社に雇用されている数人の宇宙飛行士のうち少なくとも1人を含む、自社の従業員で埋められるものと広く考えられていた。ところが、15回のテスト飛行を慎重に重ねてニュー・シェパードの有人飛行までのタイムラインを何度も修正したあと、人類初の月面着陸の記念日である7月20日に予定された飛行に、ベゾスが自らも参加することを突然発表したのだ。ベゾスが7月初めにアマゾンの最高経営責任者(CEO)を退任したことも、偶然ではなかったのかもしれない。

発表当時、同じく宇宙を目指す億万長者でヴァージン・ギャラクティック創業者のリチャード・ブランソンは、7月11日に自社のロケットに搭乗することをまだ発表していなかった(このブランソンの宇宙飛行の日程は、ベゾスより早く飛行するために急遽決定された。ブランソンはもともと今年後半のテスト飛行に参加すると発表していた)。

理由が何であれ、ベゾスの発表は驚きだった。ブルーオリジンの最高経営責任者(CEO)のボブ・スミスは、打ち上げ前の説明会でこの計画を擁護している。

スミスによると、直近2回のテスト飛行ではすべてのシステムに異常がないことが示されていた。また宇宙船は完全に自動で制御されるので、人間側の訓練は必要ないという。

「はっきり言って、段階的な手順を踏む必要性は特に感じませんでした」と、自社のモットーの最も猛烈な部分に言及しながらスミスは語っている。こうして有人のテスト飛行を実施しないまま、会社のボスとその弟、80代の人物、10代の人物でリスクの大きい“処女航海”に臨むことになったのだ。

打ち上げが近づくと、それまでメディアを避けていたブルーオリジンが突如として“ショービジネス”を展開し始めた。そして鮮やかな青のジャンプスーツに身を包んだクルーのきらびやかな映像や写真を公開したのだ。

少数のメディア関係者を受け入れるという当初の計画はブースターロケットのように放棄され、テキサス西部の遠隔地の砂漠に何十人ものメディアを招いた。その一帯の30万エーカー以上と山岳地帯が、すべてベゾスの土地だ。

AIが制御する完全自動のロケット

米国中部夏時間の午前7時25分。乗組員はブルーオリジンの発射台に取り付けられた5階分の階段を上がり、再利用可能なロケットであるニュー・シェパードの160フィート(約49m)の高さにたどり着いた。そして緊急避難の際に使う密閉空間である耐火性の「宇宙飛行士安全シェルター」の内部で少しだけ休憩した。

その後、ベゾスが先導して連絡通路を進み、カプセルまで移動する。通路の途中では、一人ひとりが式典用の銀の鐘を鳴らした。ニュー・シェパードに鎮座するカプセルの姿は、まるで“大人のおもちゃ”のようだった。

7時34分になると一行が船室に入り、シートベルトを締めた。ファンクは「マーキュリー13」の候補生だったころの姿が写った絵はがきを窓に貼り付けた。宇宙に到達したとき、絵はがきの写真を撮るつもりだったのだ。そして7時43分になるとブルーオリジンの技術者がハッチを閉め、ガントリーから下りた。打ち上げ21分前である。

米航空宇宙局(NASA)が60年前に実施した2回の弾道飛行では、計器の確認やスイッチの操作など、多くの作業が必要だった。しかし、ベゾスたちはそうした作業をひとつも気にする必要はない。ニュー・シェパードはAI(人工知能)で完全に制御されているのだ。

そしてその窓は、地球と宇宙を優雅に眺められるように大きめに設計されている。一行は窓の横に設置された個人用の画面で、カウントダウンを見守った。

歓喜と興奮

天気予報では雨の可能性もあったが、当日は素晴らしい快晴だった。カウントダウンは15分のところで一旦停止したが、すぐに再開される。システムが2分間の最終チェック(これもすべて自動)を終えると、管制塔からカウントダウンが聞こえてきた。

「10、9、8、7、6… エンジン始動、2、1」

そして8時12分、ブースター下部から数秒ほど蒸気が吹き出した。「発射します」と、基地にある小さな管制室から声が聞こえた。するとロケットはダーツのように飛び出し、上へと向かっていった。ニュー・シェパードが通り抜けた一時的な「空の穴」を示すように、あとには綿毛のようなドーナッツ状の飛行機雲だけが残された。

およそ3分後、カプセル「RSS First Step」がロケットから切り離され、地球の大気圏を脱出した。そしてクルーたちはとうとう無重力状態になった。彼らは宇宙旅行者となったのだ。

オンラインで見守っていた数千人は、ライヴ配信の映像を見ることはできなかった。しかし、クルーがベルトを外して浮遊している際に発した歓喜と興奮の言葉は聞くことができた。

「これはすごい!」

「なんて素晴らしい!」

「窓の外を見て!」

「うわぁぁぁぁ!」

生涯の目標を達成した人物

カプセルがゆっくりと帰還の途に就いたとき、ニュー・シェパードのブースターはすでに地球への降下を開始していた。ソニックブーム(衝撃波)がブースターの帰還を告げ、ブースターは火を噴きながら無事にパッドに着陸した。

ほどなく赤、白、青のパラシュートが3つ、カプセルの上に展開された。ベゾスは管制室に向かって「上空のクルーはとてもハッピーですよ」と言った。

時速1〜2マイル(同1.6〜3.2km)まで減速していたカプセルは砂漠に着陸し、砂煙が舞い上がった。超短編映画のような、あっという間の宇宙旅行だった。

PHOTOGRAPH BY BLUE ORIGIN/ANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES

ブルーオリジンの回収チームはSUVで砂漠を疾走し、最後の数メートルは早歩きで向かってハッチを開けた。すると、歓喜に満ちたクルーが歓声を上げながら次々に姿を現した。この“宇宙オタク”たちは、言ってみればスーパーボウルで優勝したも同然なのだ。

着陸地点には帰還したクルーたちの家族と、ベゾスの恋人であるローレン・サンチェスも出迎えた。マーク・ベゾス、ダーメン、ファンクの順に登場し、ファンクは両手を掲げてVサインをした。明らかに彼女は、まだ地に足が着いていない様子だった。そして最後にジェフ・ベゾスが現れた。

クルーのなかで最も興奮していたのは、恐らくファンクだろう。ファンクは1960年に宇宙飛行士の訓練を受けたものの、性別を理由に政府に拒絶された女性グループ「マーキュリー13」のメンバーだった。その彼女が、ついに生涯の目標を達成したのである。

ブルーオリジン初の有料の搭乗客であるオリヴァー・ダーメンも、まだ18年しか生きていないとはいえ、同じく生涯の目標を達成した。彼は最年少宇宙旅行者の記録をもっていた旧ソ連のゲルマン・チトフより7歳も若いのだ。この秋にユトレヒト大学に入学するダーメンは、新入生に課せられる「どんな夏を過ごしたか」という作文にうってつけのテーマを手に入れたことになる。

ベゾスが取り組んでいくこと

とはいえ、この日いちばん注目されたのは、もちろん世界一の大富豪であるジェフ・ベゾスだろう。

「10代のころから(宇宙に携わることは)楽しいだけではなく、実際に重要であるとの確信が強まっていました」と、ベゾスは18年にインタビューした際に語っている。「そして年を追うごとに、これこそわたしが取り組んでいる最も重要なことであるという確信が深まったのです」

そして、ベゾスはこれからも取り組んでいくことになる。ブルーオリジンは今年、さらに2回の宇宙観光飛行を計画している。とてつもない総重量を軌道に打ち上げるための強力なブースターや月面着陸機など、複数の世代にわたる宇宙船の開発も計画中だ。

またベゾスは、ライヴァルであるイーロン・マスク率いるスペースXに与えられた数十億ドル規模の月面着陸機の契約を再考するよう、NASAに迫っている。

だが、いまやそれを宇宙飛行士という立場からすることになるのだ。わずか11分の飛行時間だったが、そこにたどり着くまでに20年かかったのである。

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TEXT BY STEVEN LEVY