エミー賞が証明した、テレビ界における「ダイヴァーシティ」の難しさ

「黒人女性初のコメディー部門脚本賞受賞」「アジア系男性初の主演男優賞受賞」など、歴史的な年になった第69回エミー賞。しかしそれはまた、テレビ業界にはまだまだ多様性が足りていないことの証明でもあった。
エミー賞が証明した、テレビ界における「ダイヴァーシティ」の難しさ
Netflixのドラマ「マスター・オブ・ゼロ」で、黒人女性として初めてコメディー部門の脚本賞を受賞したリナ・ウェイス(右)と、同作の主演と共同脚本を手掛けたアジズ・アンサリ(左)。PHOTO:GETTY IMAGES

ドラマ「ナイト・オブ・キリング 失われた記憶」で、アジア系男性として初めてエミー賞主演男優賞を受賞したリズ・アーメッドが、Instagramに1枚の写真を投稿した。アーメッド、リナ・ウェイス、ドナルド・グローヴァー、ステファン・グローヴァーが皆でエミー賞のトロフィーを握っている写真で、キャプションには、「We here」と書かれていた。

それは、授賞式で最も意義ある勝利への、確かだがさりげない支持を示すものだった。ウェイスはコメディー部門での脚本賞を黒人女性として初めて受賞し、グローヴァーはコメディー部門での監督賞を黒人男性として初めて受賞した。

しかし彼らの勝利は、長らく続いてきた業界の醜いアンバランスを浮き彫りにしている。製作者として、俳優として、脚本家として、意思決定者として、有色、女性、性的マイノリティーの人々にとってのチャンスがあまりに不十分なのだ。

We here

Riz Ahmedさん(@rizahmed)がシェアした投稿 – 2017 9月 17 10:48午後 PDT

「わたしたちを周りと違う存在にするものは、わたしたちのスーパーパワーなのです」と、ウェイスは受賞スピーチで、彼女が「LGBTQIAファミリー」と呼ぶ人たちについて語った。「毎日ドアを出て、想像上のケープを被って、世界を制覇するのです。わたしたちがいないと、世界はいまほど美しくなくなってしまうから」

グローヴァーも、ステージ裏のインタヴューで、自身が制作主演したテレビシリーズ「Atlanta」の1エピソード「Value」について聞かれた際に、似たような感情を語った。これはヴァン(ザジ・ビーツ)と彼女の昔の親友の目を通して、黒人女性としての奥深さと器用さを描いたエピソードで、グローヴァーのお気に入りだ。「クールで面白いふたりの女性と一緒に語り合い、有機的なものをつくりだすことは、わたしにとって本当に楽しい体験でした」

ぎくしゃくしてしまった友人関係にエピソード1話分を割くことは、表面上は露骨に見える。しかし、現在のしばしば型にはまった風潮のなかでは、それを黒人女性でやること、そしてそれによって彼女たちの差異や結束力を称えることはありきたりとは言えない。

「アクセスとインクルージョン」という問題

2017年のテレビ界は、道楽三昧のように見えるかもしれない。「インセキュア」に「トランスペアレント」、「ボージャック・ホースマン」に「ジ・アメリカンズ」、そして「Queen Sugar」。テレビや動画ストリーミングサーヴィスは、誰にでも何か楽しめる番組があると謳う。しかしその逆のほうが、より真実に即している。

過去10年間メディアが拡大してきたにもかかわらず、ゴーサインの出た番組の大半は、グローバル化した世界の豊かさを反映できていない。そして、ウェイスやグローヴァーがある程度ほのめかしていた、「アクセスとインクルージョンの問題」もある。つまり、ただ単にストーリーだけではなく、「誰が」「どのように」そのストーリーを語るのかが重要なのだ。

2016〜2017年の秋シーズンの公開前に公表された、主要ネットワークにおける大きな「人種の壁」を明らかにしたレポートを見てみよう。新しく脚本が書かれた番組の製作総指揮者の90パーセントが白人、そのうち80パーセントが男性だった。

ウェイスやグローヴァー同様に、アーメッドもこの長く続く問題に気づいている。

「1人が受賞すること、1人が役を得ること、1人が成功すること、それが組織的なインクルージョンの問題を変えるかどうかはわかりません」と、彼は受賞後のインタヴューでレポーターに語った。「それはゆっくりと時間をかけて起こる変化なのだと思います。でも、もし個別の成功事例が十分に集まり、互いにつながりはじめれば、そのプロセスはそれほどゆっくりとしたものではなくなるのかもしれません」

「上質な番組」の定義を変える

エミー賞の歴史的な授賞式を見ながら、わたしたちは本当は「Prestige TV(プレスティージTV=上質な番組)」の時代に生きているのではない、という考えを振り払うことができなかった。

「プレスティージTV」という言葉は、つくりこまれた注目の番組に、ここ5年で批評家や視聴者がつけた呼び名だ。もともとは小説のように質がよいドラマや、カメラ1台で撮影されて“難解な”キャラクターが出てくるようなコメディーを、優れたものとして認めるための言葉だった。

しかし、もしわれわれが「プレスティージTV」を、まったく違うものとしてとらえ始めたらどうだろうか。この言葉が、ドラマの構造やムード、番組の妥当性を示す言葉ではなく、よりバランスのとれた番組製作に向けた業界の努力に光を当てる言葉になったら?

いまのところ、テレビが社会を真に反映することは夢物語にとどまっている。迫り来る2017〜2018年のテレビシーズンは、過去の過ちを引き連れてやって来る。「Variety」と「Denver Post」のデータによれば、新しい脚本の大半が明らかに白人的(ほとんどの番組が白人男性の製作総指揮者が売り込んだもの)である。しかし、グローヴァー、ウェイス、そしてアーメッドは、先に進むほかの道があることを証明している。

「歴史に残ることができて、うれしいです」と、グローヴァーは日曜の夜にレポーターに語った。「しかし、それを狙っていたわけではありません。わたしは最高の番組をつくろうとしているのです。人々は良質なものを楽しむ資格があると信じています。そしてそれを味わったら、自分の価値観を理解し、それ以下のものは欲しがらなくなります。とにかく本当によい番組をつくりたいだけなのです」

彼に必要だったのは、平等なチャンスだけだったのである。


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TEXT BY JASON PARHAM