かつての東西ドイツを震え上がらせた秘密警察「シュタージ」のアーカイヴ施設に潜入してみた

「シュタージ」と呼ばれた旧東ドイツの秘密警察機関は、かつて東西ドイツの人々を厳しい監視下に置き震え上がらせていた。シュタージに集められた機密文書はアーカイヴ化されており、申請を行えば閲覧もできる。当時の監視体制は過去の恐ろしい出来事だと考えてしまいがちだが、いまこそリアリティをもって振り返るべきものかもしれない。
かつての東西ドイツを震え上がらせた秘密警察「シュタージ」のアーカイヴ施設に潜入してみた

1950年、当時の東ドイツ。「シュタージ」と呼ばれる秘密警察機関、国家保安省が設立される。以降、シュタージは89年のベルリンの壁崩壊に至るまで、40年にわたって東西ドイツの人々を監視下に置いていた。

シュタージは極めて巨大な組織だった。最盛期の1988年には9万人もの正規職員を抱えていたほか、「IM(Inoffizieller Mitarbeiter)」と呼ばれる非公式の密告者は17万人以上存在したという。反体制派弾圧のための極めて厳しい監視ネットワークを、一般市民と一体となってつくりあげていたのだ。

シュタージの人々が監視対象者についてまとめた膨大な機密文書は、現在も「シュタージ・アーカイヴ」としてベルリン市内に保管されており、多くの人々がアーカイヴを訪れ機密文書の閲覧を申請している。1991年のアーカイヴ開設以来、閲覧申請者の総数は160万人以上に上るという。機密文書を閲覧して初めて、自らの友人や同僚が密告者だったことを知ることもある。

カナダ・トロント生まれの写真家、エイドリアン・フィッシュは2015年秋、アーティストインレジデンスのためにベルリンに滞在していた。滞在中にベルリンに残された歴史の痕跡をたどっていくなかで、フィッシュはシュタージ・アーカイヴと出会う。『Deutsche Demokratische Republik: The Stasi Archives』は、フィッシュがアーカイヴ施設の様子をとらえた貴重なドキュメンタリーだ。

広大な部屋に無数の機密文書やフィルム

広大な部屋の端から端まで立ち並ぶキャビネット。そこには無数の機密文書とファイル、フィルムリールがパンパンに詰まっている。「こうしたアーカイヴが残っているのは非常に貴重でしょう。普通の人は文書が保管されている場所まで入ってこられませんから、施設の中を撮影できたのは幸運なことでした」とフィッシュは語る。

「政府がいつどこでどのように監視しているのかわからない状態に置かれた国民が感じていた、心理的な苦痛について興味があったんです。先進国の人々はこの時代の出来事を過ぎ去ったものだと思っていますが、わたしはむしろ、監視がデジタル世界においてより狡猾に行われるようになっていると思います」

そうフィッシュが語るように、シュタージのような監視システムが現代のわたしたちと無縁だとは言い切れない。安全のためとはいえ、街の至るところに監視カメラが仕掛けられているし、インターネット上の行動もデータ化されさまざまな場所で利用されているのだから。さらに高度な監視下に置かれた現代の人々が、いまシュタージ・アーカイヴから学べることは多いはずだ。


RELATED ARTICLES
article image
フランスが1930年代にナチス・ドイツによる侵攻を防ぐべくつくり出した要塞群「マジノ線」。莫大なコストを投じたにもかかわらず、ドイツ軍の奇襲作戦によりマジノ線は機能せずフランス軍は敗北することとなる。いまなお残る要塞の跡を訪ねると、そこには独特の雰囲気が漂っていた。

TEXT BY WIRED.jp_IS