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俳優・お笑いタレントとして活躍 石井正則はなぜハンセン病の写真集を出版したのか/800

「大きくて、いつも隣に立っている8×10カメラは、頼もしい相棒です」 写真提供/堀プロ
「大きくて、いつも隣に立っている8×10カメラは、頼もしい相棒です」 写真提供/堀プロ

 お笑いコンビとしてデビューし、現在は俳優として活躍する石井正則さん。国内のハンセン病療養所13カ所を訪ね、その記憶をフィルムカメラで収めた写真集を出版した。

(聞き手=北條一浩・編集部)

「ああ、これは行かなければならない」

「鮮明に切り取るデジタルより場の空気を受け止めてくれるフィルムが好きなんです」

── 全国に13カ所ある国立ハンセン病療養所を撮影した写真約100点を収めた『13(サーティーン) ハンセン病療養所からの言葉』(トランスビュー)を今年3月に刊行しました。初の写真集です。

石井 全国のハンセン病療養所を回って写真を撮らせてもらいましたが、撮った写真をどうするのかについては考えがまとまりませんでした。するとある時、国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の方から「写真展をやりませんか」と声を掛けてもらったんです。準備をしているうちに今度はトランスビューの編集者、高田秀樹さんが「本にしましょう」と声を掛けてくれました。写真展は当初、今年2~5月にハンセン病資料館で開催を予定していたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大でしばらく見送ることになり、結果的に本が先になりました。

── ハンセン病療養所のどこにカメラを向けるかは、どうやって決めるのですか?

石井 その場所に身を置いて、自分の体が何にどう反応するかに任せます。療養所の敷地内には必ず案内板がありますから、まずはそれを見て、あちこち歩いてみることから始めます。いまでこそハンセン病に関する先行の研究や文学作品を読み、勉強していますが、撮影の時には、極力知識を入れず、できるだけからっぽなままで臨みたいと考えていました。

── なぜでしょう?

石井 なまじ知識を入れてしまうと、そちらに寄せて撮ってしまうと思ったんです。何も知らずに行って、カメラを持った自分がどう動き出すかに興味がありました。

 石井さんが被写体に選んだのは、サクラやアジサイなど療養所内の色鮮やかな花のほか、火葬場や納骨堂、「命カエシテ」と刻まれた石碑、そして、療養所内に掲示された差別的な言辞の投稿文──。写真集では、療養所のありのままを淡々と表現した約100点を収録した。柔らかな色合いの写真が多いのは、8×10インチ(エイトバイテン)の大判カメラや35ミリのフィルムカメラで撮影したからだ。

『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)
『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)

最初の訪問で確信

── ハンセン病療養所の撮影をしようと思ったきっかけは?

石井 2013年に、NHKで放映されていたハンセン病に関するドキュメンタリー番組を見たことでした。映されていたのは瀬戸内海の大島(香川県高松市)にある国立療養所大島青松園。圧倒的な映像の連続でくぎ付けになって見ていたのですが、やがて「ああ、これは行かなければならないのだろうな」と思ったんです。

── 使命感のようなもの?

石井 分かりません。ただハッキリ言えるのは、「行きたい」という欲求とはまるで違うもの。誰かに命令されているような感じと言ったらいいでしょうか。そして番組を見ながら、「これは小さなカメラではとても立ち向かえない」と思いました。僕は8×10カメラでよく撮影をしていたので、「あのデカいフィルムカメラで、ハンセン病療養所の“いま”をしっかり撮ってこい」と言われているのかな、と考えました。勝手な思い込みですが。

── それでまず、大島青松園に連絡して撮影を始めた?

石井 いいえ。「ほんとうに自分が行っていいのか?」とひたすら自問自答して、3年くらいは一切動けませんでした。それでまずは、近くで行けるところということで、16年に東京都東村山市の多磨全生園に見学に行きました。門を入った瞬間、「自分は撮ることになる、間違いない」と確信し、覚悟を決めました。

── 何を感じたのでしょうか。

石井 多磨全生園が持つ空気の濃密さ、場所の記憶のようなものを全身で受け止め、「ただごとではない」とすぐに感じました。そして、行くとなったら13カ所全部行こうと決めていたので、16年から仕事の合い間を縫って撮影を始め、撮り終えるまでおよそ3年間がかかりました。

 そもそも、ハンセン病療養所って、非常に交通の便が悪い場所にあるんです。なにしろ「隔離」されてきたわけですから。そして、僕は車の免許を持っていないうえに、8×10カメラなんて重さ7キロもある大荷物もありますから、たどり着くだけで大変でした。でも、行くとなったら相当な覚悟がいる場所だからこそ、気合いが入ったとも思います。

そして、大島青松園へ

── 実際に大島青松園に行ったのはいつだったのですか。

石井 あそこに行くことができたのは昨年のことで、全13カ所中11番目です。実はそれまでに何度か行こうとしたんですが、8×10カメラが前日に壊れたりして、うまくいきませんでした。で、その時、思いました。8×10カメラが壊れたのは、「おまえにはまだ早い」というメッセージだろうって。「おまえはまだ、ハンセン病療養所を撮影する意味が理解できていない。もっと経験しなければ」という声が聞こえた気がしたんです。そして全国の一つひとつの療養所を回る経験を積み重ね、そこでかつて起きたことを忘れさせてはいけない、そのために大きなカメラを持った自分の役目があるはずだという思いを深めました。

── 写真集には35ミリのフィルムカメラで撮影した写真も数多く収められています。

石井 この時の教訓から、以降はもっとコンパクトなフィルムカメラも一緒に持っていくようにしました。写真展は8×10カメラで撮った作品を中心にするつもりで、写真展と本とを対照的な構成とし、見る人それぞれに感じてもらおうと考えました。

 1994年にお笑いコンビ「アリtoキリギリス」としてデビューした石井さん。テレビドラマ「古畑任三郎」への出演がきっかけとなり、コンビ解散後は映画に舞台に、俳優業がメインになる。また語りの巧みさから声優、ナレーターとしての仕事も多い。凝り性の趣味人としても知られ、フォールディングバイク(折り畳み自転車)を中心に十数台所有、訪れた全国の喫茶店は2400軒以上に上る。

── 俳優業の傍ら、自転車に喫茶店巡りなど、多趣味ですね。

石井 もともとはハッキリした趣味を持っているほうではなく、その代わり、気になったら「とりあえずやってみよう」といつも思っています。「面白そうだけど、どうしよう」と迷ったらやってみる。「違った」と思ったらすぐやめればいいんですから。

── 18年4月から続けている音声配信サービスVoicyのチャンネル名は、まさに「とりあえずやってみよう!」です。「喫茶店巡り」がテーマの回では、コーヒー好きからやがて喫茶店巡りへと関心が移っていったことを紹介していました。

石井 コーヒーのおいしさってよく分からなくて、やはり場数を踏むことだと思ったんです。そして「ここはおいしい」と評判の店ばかりでなく、ごく普通の町の喫茶店にも行くようにしました。そしてだんだん、マスターやママの人柄がコーヒーに出ちゃう感じがしてきたんです。難しい顔していれている人のコーヒーはどこかギラついていて、温和な人のはやわらかい。それが魅力的で、喫茶店を「巡る」ほうが主になりました。

心を打たれた文学

『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)
『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)

── フィルムカメラも趣味の一環で始めたのですか。

石井 03年ごろに中古の二眼レフを購入したことがきっかけで、フィルムカメラにハマってしまいました。自転車も喫茶店もそうですが、僕は凝り出すととにかく数をこなしたくなるんです。親しい友人や風景など何でも撮りました。フィルムカメラを持たないで外出したことは、この十数年、一度もないと思います。

── 18年には『駄カメラ大百科』(徳間書店)を刊行し、「お金がかかりそう」と思われていたフィルムカメラを、実は安く楽しめることを紹介しています。それにしても、デジタル時代になぜフィルムカメラなのですか?

石井 今はスマートフォンでもかなり鮮明に撮れますよね。アタマの中に「こういう写真が撮りたい」という明確なビジョンがある人はデジタルのほうがいいと思います。でも僕は、思った通りの写真ができ上がってくると「つまらない」と思ってしまう。デジタルはクリアに何かを「切り取る」もの。つまり、再現です。

 ところがフィルムは場の空気を「受け止める」ので、そこまで鮮明である必要がありません。ハンセン病の療養所13カ所を回って撮影して、いま何を記憶しているかといったら、まず浮かぶのは道であり、花なんです。「花がとにかくキレイだったな」と。そういう花や木や場所独特の空気の合間に、ポツンポツンと歴史を物語る建物やスポットがある感じ。

── 『13』に掲載している写真にはキャプションがまったくありませんね。個々の写真が13カ所の療養所のどこで撮られたのかの表記もありません。

石井 キャプションは「情報」じゃないですか。情報も大切ですが、僕がやりたかったこととは違います。

── 『13』ではその一方、23編もの入所者の詩を収録しています。

石井 本の中で日本のハンセン病政策と療養所の歴史について、国立ハンセン病資料館学芸員の木村哲也さんに執筆してもらいました。僕は木村さんからいろいろ学ぶ中でハンセン病文学に触れ、入所者の方々の素晴らしい詩があることを知ったのです。そこで編集者の高田さんと相談し、詩と写真でコラボレーションさせてもらうことに決めました。

『13』に収録した詩の一つが、志樹逸馬さんの「曲がった手で」。「指は曲がっていても/天をさすには少しの不自由も感じない」──。この本のタイトルが「ハンセン病療養所からの言葉」となっているように、石井さんが撮影した写真を「場の記憶」としながら、隔離の中で生まれた入所者の思いを紹介することに主眼を置いている。

ずっと撮り続ける

『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)
『13 サーティーン ハンセン病療養所の言葉』より(石井正則氏撮影、提供/トランスビュー)

── 昨年11月には長年にわたって差別に苦しんできたハンセン病元患者の家族に補償する新法が国会で成立、施行され、国が被害を放置してきた責任を認めました。今なお、多くの人が苦しんでいますが、改めてハンセン病について思うことは。

石井 ハンセン病の本質は「隔離」です。入所した人は「一生ここから出られない」という思いとともに生き、亡くなりました。自分は13カ所を回りながら、心が震えて仕方がない時が何度もありましたが、おろおろしてる場合じゃない、伝えなければ、と思いました。この悲しみの歴史を詩と写真で知ってほしい。肌で感じてほしい。そして、できればハンセン病療養所を訪ねてほしいです。

── 写真展のほか、トークイベントも予定していたんですよね。

石井 新型コロナがどうなるか予断を許しませんが、開催はあきらめていません。必ずやります。

── 今後も写真を撮っていくつもりですか。

石井 僕にとって写真は、仕事じゃないのは間違いありません。プロカメラマンになる気はありませんし、なれないでしょう。でも、自転車や喫茶店巡りやカメラ集めのように趣味とも言い切れません……。ずっと考え続けるし、ハンセン病療養所を訪ねること、撮らせてもらうことも、僕の中ではまだ終わってはいません。

(本誌初出 ハンセン病療養所を撮影=石井正則・俳優/800 20200714)


 ●プロフィール●

いしい・まさのり

 1973年、神奈川県出身。94年にお笑いコンビ「アリtoキリギリス」としてデビュー。脚本家の三谷幸喜氏の指名でテレビドラマ「古畑任三郎」に出演したのをきっかけに、映画や舞台の仕事が増え、現在は俳優業がメインとなるほか、ナレーションの仕事も多数。コンビは2016年に解散、映画出演最新作は今年3月公開の「Fukushima 50」。今秋公開予定の映画に「老後の資金がありません!」など。

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