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吉田町1丁目(昭和46年3月)

吉田町1丁目(昭和46年3月)

[神戸市電・略史]

車両開発に見る先端技術力

その歴史が始まったのは1910年(明治43年)4月5日。1917年(大正6年)8月1日からは神戸市電気局(現在の神戸市交通局)による市営軌道事業が始まりました。1920年(大正9年)には大型ボギー車(車体中央部に乗降口を設置)の導入で、輸送量を増強。さらに1923年(大正12年)に、日本で初めて堅牢で安全性の高い鋼鉄製車両「スチールカー」を完成させた技術は、当時の常識を破り鉄道史にも残るほど画期的なものだったようです。

車体中央部の乗降口

車両開発に見る先端技術力

洗練されたデザイン

開業時には、こげ茶色一色だった車体。1933年(昭和8年)からは、神戸市電特有の緑の濃淡なものが採用されました。須磨・舞子海岸の松、六甲山のみどりをイメージしたと伝えられるライトグリーンとダークグリーンのツートンカラーは、神戸のシンボルの一つとして親しまれ、現在の神戸市営地下鉄へと引き継がれています。神戸市電の評価を決定づけ、「東洋一」ともてはやされるきっかけとなったロマンス・カーは1935年(昭和10年)に登場。当時の新聞にも「神戸市電が誇るロマンス・カー 笑顔を満載して あすから八両を運転」と路面電車としては日本初のロマンス・カー誕生を報じています。

車両開発に見る先端技術力

ロマンス・カーのシート


データに見る「日本一」

昭和7年当時の資料では、市民一人一ヵ月当たりの乗車回数は6大都市のなかで最高を記録。時間当たり運転回数やキロ当たり収入も最高という状況で、先端を行く技術力や洗練されたデザインへの評価と相まって名実ともに日本一であったことがわかります。

楠町6丁目〜有馬道(昭和41年4月)

データに見る「日本一」

最長35.6kmに達した路線網〈電車運転系統図〉

54年間の運転キロ数は、約6億km(月へ796往復)。運んだ乗車人員は延べ56億人を数えました。

電車運転系統図

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