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インタビュー

ソンソン弁当箱 『チャンネルがそのまま』





僕はバンドで何ができるんだ?



80年代のジャパニーズ・パンクや関西ゼロ世代からの影響(バンドの名付け親はオシリペンペンズの石井モタコ)を平成生まれの感性でいまに鳴らす4人組、ソンソン弁当箱。彼らにとっての2011年は、まさに激動の年だったと言っていいだろう。デビュー作『ロマンの日本』が〈CDショップ大賞〉の〈東北ブロック賞〉を受賞したのが1月。華々しく年明けを飾ったのもつかの間、3月には東日本大震災が起こる。仙台在住の彼らは、その直接的な被災者となったのだ。

「地震が起こった瞬間は、頭が混乱してしまっていました。当時メンバーといっしょに住んでいたマンションは立ち入りができなくなってしまったので、近くの高校の教室でダンボールを被ってまったく知らない人たちとギュウギュウで朝まで過ごしたのですが、その時に聴こえてきたラジオのニュースでやっと冷静になって、いま、自分が何をすべきかを考えながら寝ました。で、次の日の朝からはバンドのこともライヴのことも正直何も考えられなくなったというか。他に考えなければいけないことや受け止めなければいけない現実が多すぎて、いっぱいいっぱいになっていたんだと思います。そこから気持ちはずっとずっと沈んでいて、4月くらいからやっと音楽のことを考えられるようになって。でも、〈元気だよ〉とか〈もう大丈夫!〉とか周りに言っていたけど、どうしても前のように、バンドに対して気持ちよくスカっと向き合うことはしばらくできませんでした。〈もっとやるべきことがあるんじゃないか〉とか〈僕はバンドで何ができるんだ?〉とか、いろんなモヤモヤでいっぱいになっていました」(カジカ哲平、ヴォーカル:以下同)。

その後は、「ずっと尊敬していたミュージシャンの一人」という中川敬の誘いでSOUL FLOWER UNIONの被災地ツアーに同行。少しずつバンドに対するモチヴェーションを取り戻すと、8月に延期された地元開催の〈ARABAKI ROCK FEST. 11〉への出演を経て、彼らは新たな気持ちで再出発を果たす。

「バンドをやることに関して、いままではただただ〈ライヴって楽しいな!〉とか〈音を鳴らすのって楽しい!〉って気持ちだけだったかもしれないけど、震災後はいろんなことに対して〈愛〉や〈怒り〉や〈悔しさ〉を感じることが多くなって。感情の表現として、伝える手段として、反抗の意思表明として、もしかしたらバンドって、音楽って、すんごいツールなんじゃないかと思うことが多くなりました。この時代だからこそ、こんな立場だからこそ、そう思うようになったのは大きな変化だと思います」。



カテゴリ : ニューフェイズ

掲載: 2011年11月02日 18:01

更新: 2011年11月02日 18:01

インタヴュー・文/金子厚武