高橋慶彦はロッテでやらかし阪神にトレード「うれしかった。でも縦縞は似合わなかったね」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「監督の金田(正一)さんと揉めてね。真夏のオールスター休みの日。立川の昭和記念公園に選手が集められて、朝10時から散歩、1時間。金田さんに『慶彦、どうや、この散歩いいやろ?』って言われて、『わかりません』って言ったの(笑)。もうオレ、33で若くないし、しんどいから。そしたら『なに⁉︎』って言われて、機嫌悪くされて。たぶんそれから関係が悪くなった。

 しかも、あるコーチからね、『慶彦、監督にゴマすれよ』なんて言われたから。それでまたカチンときてね。オレはそういう人間じゃないんで。だからもっと関係がギクシャクして、『阪神に行ってくれ』ってなったんだと思う。まあ、もともと『外野に行け』って言われた時もできる状態じゃなかったし、ショートには佐藤健一もいたしね」

 ポジションの問題もあり、ロッテでの高橋は100試合に出場も、先発は60試合弱。そのうち半数以上がDHだった。だが、広島時代に4年連続20本塁打以上を記録した時ほどの長打力もなく、球団は早くから放出を検討していたという。実際、スポーツ紙上で高橋のトレード記事が出たのはまだシーズン中の9月下旬。移籍先は阪神とされていた。正式に決まると、高橋は言った。

「トレード成立のために中村監督もずいぶん骨を折ってくれたらしいし、仕事のあるところに期待されて行くんだからね。自分でもその年は不本意だったし、心機一転、やるしかないと思ったよ」

【縦縞のユニフォームは似合わなかった】

 11月下旬、高橋はわずか1年でセ・リーグに戻ることになった。ただ、阪神と広島ではかなり違う部分があったのではないか。

「まあ、それは違ったね。ただ、知ってる選手はたくさんいたから。それにオレ、もともと阪神ファンやから。とくに安藤統男さんのファンでね。あの人、セカンド、ショートを守って外野も守ったけど、ほぼレギュラー獲ってないんよ。でも、プレー中の仕草が好きでね。で、オレが広島に入った時に阪神の二軍監督で、二軍戦で褒められてね。それで喜んでまた好きになった。

 あと、ピッチャーだったらアンダースローの上田次郎さんが好きだった。小学生時代によく上田さんのフォームの漫画を描いていたし、アンダースローで投げていた時期あったもん。だから阪神に入ってうれしいというか、頑張ろうと思ったよ。でも、まず似合わなかったよね、縦縞のユニフォームが。なぜか知らんけど」

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