1990年代以降、日本は成長できない国になった。世界1位だった国際競争力は34位に転落し、日本人の給料は30年も横ばいの状態が続いている。「失われた30年」はどこかで止められなかったのか。経済産業省で産業政策を取り仕切る飯田祐二・経済産業政策局長に聞いた――。
飯田祐二経済産業政策局長
撮影=遠藤素子

「失われた30年」の原因はどこにあるのか

――なぜ日本は成長できない国になってしまったのでしょうか。

過去30年間、日本経済の成長は低迷しています。潜在成長率は3%台から1%未満になり、かつて世界1位だったIMD世界競争ランキングは34位(2022年)になり、国際競争力も低下しています。

【図表1】IMD世界競争力ランキングの推移(1989~2022)

私は入省して34年目ですので、よく言われる「失われた30年」は自分のせいじゃないかと思う部分もあります。いろいろ手を打ってきたのですが。

90年代以降、様々な制約を取り払い企業間の競争が活発になれば経済が活性化すると考え、規制緩和などの構造改革を実施してきました。それまでの特定産業の育成を目的とする政策から、規制緩和や減税など市場環境を整えることを目的とする新自由主義的な政策へと転換していったわけです。

ところが、そうした政策は結果として期待通りにはいきませんでした。経済成長は停滞し、給料の上がらない国になってしまいました。規制を取り払えば企業は元気になり、うまくいく――。そういうわれわれの考え方、環境づくりが結果につながらなかったのだと思います。

「コストカット」と「海外投資」で活力を失った

――新自由主義的な産業政策で日本はどうなったのでしょうか。

実はここ10年ほど、日本の資本金10億円以上の企業は売上額がほとんど変わっていません。内訳を見ると売上原価が下がって利益が増えている。つまりコストカット型になっているんです。

本来なら、経済回復に向けて新しいことに挑戦していかなければいけなかった時期に、日本全体が、特に国内においてコストカットの方向に進んでしまったのです。