■東北は「白河以北一山百文」

明治時代のはじめ、東北地方は戊辰戦争に敗れ当時の政府の人などから「白河以北一山百文」
つまり、福島県白河地方から北の東北は「一山百文」ぐらいにしか価値がないと軽視されたと言われています。
白河の関

この状況に東北が奮い立ちます。
仙台市博物館の中武俊彦さんによると、明治10年~20年代、薩長政府に対し東北人も自由民権運動という形で立ち上がり、東北対西南ともいわれたそうです。
しかし、明治30年代に入ると政府は、日清戦争などもあり大陸に近い北九州の八幡製鉄所など、国家資本を西日本に投入し、東北は工業化から取り残されてしまいます。
中武さんは「このころから今もずっと東北はコンプレックスがあったのでは」と語ります。

このような歴史の中、蔑視の言葉「白河以北一山百文」から、あえて「河北」の字を取り社名にした新聞社が仙台にあります。河北新報社です。
河北新報社

今回の仙台育英の優勝を号外を出すなど大々的に報じましたが、優勝旗の白河越えについてどんな思いを抱いているのでしょうか。
仙台育英初優勝 号外

河北新報社:
「白河以北一山百文」と蔑視された東北の復権を誓い、題号を「河北」とした当社は、創刊以来「東北振興」を社是に掲げてきました。スポーツ分野の発展も大きなテーマの一つで、仙台育英の甲子園大会優勝、そして優勝旗の「白河の関」越えは、大変感慨深いものがあります。「雪国で遅れた地域」というかつてのイメージを払しょくする選手たちのさわやかなプレーは、あらためて新たな東北像を全国に印象付けたのではないでしょうか。悲願を達成した選手たちの努力と活躍を、心からたたえたいと思います。

今回の仙台育英優勝は、長年、心のどこかで鬱屈としてきた東北人の重しを取り払ってくれたのかもしれません。