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放送50周年、テレビ朝日による新日本プロレス放送の始まりを振り返ってみる

清野茂樹実況アナウンサー
アントニオ猪木と坂口征二の黄金コンビ(写真:東京スポーツ/アフロ)

1973年4月6日にテレビ朝日で新日本プロレスの中継が始まってから、今年で満50周年を迎える。現在、国内のプロレス団体で地上波テレビのレギュラー放送があるのは新日本プロレスのみだが、その始まりはいったいどんなものだったのか。当時の様子を振り返りながら、テレビとの関係について考えてみたい。

老舗から乗り換えたテレビ局の判断

アントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスがテレビ放映されるようになったのは、1973年に日本プロレスから坂口征二が入団したことが大きい。テレビ朝日(当時の名称はNETテレビ)は金曜8時に老舗の日本プロレスを中継していたものの、視聴率が低迷。そこで、3月で日本プロレスを打ち切ってまったく同じ放送時間帯で、新団体を4月から放映という判断を下したのである。新日本プロレスにとっては待望のテレビ放映で、ここから現在に至るまでテレビ朝日との関係が続く。記念すべき第1回の放送は4月6日の金曜日、宇都宮スポーツセンターからの生中継であった。

メインイベンターは新戦力の坂口征二

初回の中継でオンエアされた試合は、アントニオ猪木&柴田勝久vsジャン・ウィルキンス、サイクロン・ソトのタッグマッチと坂口征二vsプロフェッサー・バンジールのシングルマッチだった。ダブルメインイベントと銘打たれていたとはいえ、メインは坂口である。これは前週まで同じ時間帯で日本プロレスの中継に出ていた坂口の方が、視聴者にとっては猪木より馴染みがあったからだろう(残念ながら、映像はテレビ朝日には残されていない)。ちなみに、裏番組はNHKと日本テレビとTBSがドラマ、フジテレビとテレビ東京(当時の名称は東京12チャンネル)が歌番組。当時はそれらと並んでプロレスが家族で楽しめるコンテンツだったことがわかる。

テレビがあったから存続した新日本プロレス

昭和の時代、プロレス団体はテレビがないと存続不可能であったことは、日本プロレスがテレビ放映打ち切りから1か月後に消滅したことが証明している。テレビ朝日からの放映権料がなければ、新日本プロレスはとっくに潰れていたかもしれないし、猪木とモハメド・アリの一戦を実現できなかったかもしれない。また、力道山が定着させた「金曜8時のプロレス」を1986年まで維持した功績も大きい。平成以降は深夜の時間帯になったが、毎週の放送は全国巡業の動員に繋がり、試合映像は二次利用され、新日本プロレスのファンを増やしてきたのである。

新日本プロレスをさらに広げる存在は現れるか

そんなテレビ朝日での放送50周年として、新日本プロレスは4月8日に両国国技館で記念大会を開催する。全9試合のうちタイトルマッチが5試合、その中にテレビ朝日の提案で新設されたNJPW WORLD認定 TV選手権試合が組まれていることは大いな意義があると思う。先述した通り、半世紀前はテレビ放映を機に新日本プロレスは躍進した。当時と今とではプロレスとテレビを取り巻く環境は異なるが、放送開始から50年という節目に映像の力を借りて新日本プロレスをさらに大きく広げてくれる存在がリングに現れることに期待にしている。

※文中敬称略

実況アナウンサー

実況アナウンサー。1973年神戸市生まれ。プロレス、総合格闘技、大相撲などで活躍。2015年にはアナウンス史上初めて、新日本プロレス、WWE、UFCの世界3大メジャー団体の実況を制覇。また、ラジオ日本で放送中のレギュラー番組「真夜中のハーリー&レイス」では、アントニオ猪木を筆頭に600人以上にインタビューしている。「コブラツイストに愛をこめて」「1000のプロレスレコードを持つ男」「もえプロ♡」シリーズなどプロレスに関する著作も多い。2018年には早稲田大学大学院でジャーナリズム修士号を取得。

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