ノリックこと阿部典史は、プロフェッショナルライダーを夢見て、サーキット秋ヶ瀬で腕を磨き、アメリカ修行に飛び出した。史上最年少で全日本ロードレース選手権チャンピオンとなり、ロードレース世界選手権にデビュー、最高峰クラスのチャンピオンを目指した。
常に前を向き、顔を上げてライダー人生を切り開き、圧倒的オーラを放ち、くったくのない笑顔で、ファンの心を鷲掴みにした。
ノリックの幼少期から、サーキット秋ヶ瀬の仲間、全日本ロードレース、ロードレース世界選手権と、彼が懸命に生きたそれぞれの場所で、出会った人々が、彼との思い出を語った。

 

幼馴染・竹本さん 
フォトグラファー
出会い・小学校時代~

自転車やスキーでの遊び友達、オフシーズンには一緒にいた仲間のひとり。ノリックとバンド活動もしていた。

「趣味と特技と仕事がバイクなだけ」。そう言い切れるのはすごい

山に出かけた夏の日のひとコマ。竹本さんは左から2番目。仲間とのオフの日にトレーニングも兼ねた時間が過ごせた貴重な時間だった。

 

中学生の頃、自分の周りでマウンテンバイクがはやりはじめ、技のような真似事をして楽しんでいた。そんな時に、「同学年にウィリーできるやつがいる」という噂があって、それが阿部ちゃん(阿部典史)だった。「同い年の子ができるのなら自分だって」と練習したら意外と簡単にできて、それがきっかけとなって、イベントでデモンストレーターとしての活動をするようになった。その最初の弾みをつけてくれたのが阿部ちゃんだった。仲良くなれたのは、自転車やスキーといった趣味が一緒だったこともあると思う。

阿部ちゃんと一緒にマウンテンバイクのダウンヒルをしに良く行っていた。夏場のスキー場に行った時、阿部ちゃんは専用の高価な自転車で参加。僕は普段使っている競技用のサスペンション無し、スリックタイヤで走った。阿部ちゃんの自転車の方が良いから、速いに決まっていた。でも「自転車を交換しよう」と言われて、非力な装備の僕のマウンテンバイクに阿部ちゃんが乗った。

これなら良い勝負が出来るだとうと思ったんだけど、スタートして2つ、3つコーナーを曲がったらもう阿部ちゃんの姿がなかった。冬場のスキーでも、とにかくスピードを求めたいのか「ほっぺたが痛い」と言いながら、基本、直滑降。上手なのだから、多少のシュプールを描いて滑れば良いのにと思っていた。

阿部ちゃんは、スピードだけでなく体力もあった。東京で一番高い雲取山や日光のいろは坂などにもダウンヒルをしに行った。登りはゴンドラがなく、自走だったり、担いだりして登らなければならない。いつの間にか勝負が始まるのも阿部ちゃんの性格。メンバーは5、6人で、いつも一番は阿部ちゃんで、山頂で表彰台のように写真を撮ったりした。

バンド活動は、阿部ちゃんは本気だったと思う

オフには仲間と山登りに出かけた。駐車場でのショット、竹本さんは左端。

 

大学受験のために浪人していた頃、親の会社の事務所を夜は勉強スペースにしてもらって、地元の仲間と一緒に過ごしていた。と言ってもほぼ遊び場状態で、そこに阿部ちゃんも来る。話だけして終わる日もあれば、夜中、朝方まで遊びに出かける時もあった。阿部ちゃんは、アツいところもあれば、急にお茶目になってみたり、妙なところで几帳面な一面があったり、実は独特なユーモアの持ち主だったりもする。「いつも今日は何をしよう」と何か面白いことを探していた。

阿部ちゃんの車の助手席に座っていた時「ホント受験が嫌だ!」と愚痴ったことがあった。「嫌ならやめればいいじゃん」って言われた。「阿部ちゃんだから、そう言えるんだよ」って言ったことを記憶している。

阿部ちゃんが雑誌の表紙になった時、バイクにまたがった写真と一緒に「趣味と特技と仕事がバイクなだけ」って書いてあった。想像できない大変なこともきっとありながら、そう言い切れるのは、やっぱりすごいことだと、今は思う。

無事大学に入り、会社員になり、友達の結婚式で自分が急遽、始めて間もないピアノを披露した。その演奏が終わって、席に戻ったら、隣にいた阿部ちゃんが真剣な表情で「感動した」って褒めてくれた。そんな風に褒められたことないから驚いていたら、後日「俺が詩を書くから、一緒にバンドを組もう」と言われた。地元の仲間達との遊びでバンドをやるのかと思ったんだけど、阿部ちゃんは、本気だった。日本時間の朝4時くらいに、スペインにいる阿部ちゃんから「詩ができたー」と電話がきて、まだ自分が半分寝ている状態の中、朗読が始まったりした。

ある時は、いまから迎えに行く、と買ったばかりのフェラーリでやってきた。歌手で俳優の福山雅治さんが、阿部ちゃんのファンで、交流があり、「福山さんがスタジオでリハーサルしているから見に行こう」と出かけたりした。「福山さんのコンサートを見学にいこう」と、横浜アリーナへも行った。特別に早めに入場させてもらった。ふたりで舞台袖から「すごいねー」と言っていたら、阿部ちゃんは1人スタスタと「こんな感じか〜」と何かを確かめるようにステージの真ん中へ歩いて行く。開場前とはいえ、それにはさすがについていけなかった。

阿部ちゃんのバンド活動への本気度が増す中、地元仲間で作ったグループの音楽レベルの低さに気づいたのか「みんなもっと練習をする必要がある。そのために会社を辞めて真剣に取り組める?」って聞かれた。みんなは会社を辞めることはできなくて、音楽の活動は終わったけど、この活動を終わらすために質問したのではなく、真剣に取り組もうとしていたことは伝わっていた。その後も阿部ちゃんは詩を書き続けていたみたいで、あきらめていなかったと思う。

ノリックとしてのキレキレな展開のレースには今見てもしびれるけど、振り返ってもやっぱり僕にとってはバイクにまたがっていない友達としての阿部ちゃんの印象が強い。阿部ちゃんの生き方はエッジが効いていて、センスが面白かったからエピソードはつきない。そのひとつ、ひとつが物理的にも気持ち的にも色んな意味で、自分を日常とは違う世界へ連れて行ってくれたように思う。今は、ただただ、ありがとうという気持ちしかない。

 

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