富山地方鉄道と富山ライトレールが2020年2月22日に合併する。日本経済新聞電子版の4月25日付の記事によると、存続会社は富山地方鉄道で、運行形態や運賃については今後、協議を進めるという。事実上の吸収合併となる。

  • 富山駅北停留場で発車を待つポートラム新車両(写真:マイナビニュース)

    富山駅北停留場で発車を待つポートラム新車両(TLR0608)。富山ライトレールの8編成目となる新車両は、路面電車の南北接続を視野に導入されたという

ただし、これは経営体制による問題ではない。富山駅周辺の交通体系を再構築するという大きな視野に立ち、市民サービスを拡充するためだ。両社の経営統合と直通運転によって、富山駅周辺の交通拠点整備がほぼ完成する。

もともと富山地方鉄道の市内電車は富山駅の南側で展開しており、現在の電鉄富山駅・エスタ前停留場が「富山駅前停留場」だった。富山ライトレールは旧JR富山港線をLRT化した際にルートを変更し、併用軌道(路面電車)区間を新設して富山駅北口に新停留場を設置した。その後、北陸新幹線開業と富山駅高架化が決定。富山駅高架下に新停留場を移設し、南北の併用軌道を接続して直通運転を行う構想が生まれた。

2015年3月14日の北陸新幹線富山駅開業に合わせ、富山駅停留場が開業。富山地方鉄道の市内電車による富山駅高架下への乗入れが始まった。

  • 富山ライトレール(青)と富山地方鉄道市内電車(緑)の南北接続が実現する(地理院地図を加工)

一方、富山ライトレール側については、今年8月中旬に富山駅北停留場が仮停留場へ移転する予定。路面電車の南北接続を含めた富山駅北口の整備工事が本格化する。北日本新聞ウェブの4月29日付の記事によると、仮停留場は「信号機を挟んで北側のアーバンプレイスビル前」に設置され、南北路線の接続後まで使用し、その後、さらに北側のホテル前に新停留場の整備を検討しているという。

なお、2015年12月4日に国土交通省が認可した「軌道運送高度化実施計画」では、併用軌道区間はすべて富山市が保有する「上下分離」とされ、インテック本社前停留場と奥田中学校前停留場の間に「永楽町停留場」を新設。永楽町停留場から奥田中学校前停留場まで複線化する計画となっている。

  • 富山ライトレールは富山駅北口停留場を仮駅に移設、工事完了時は新停留場を設置予定(地理院地図を加工)

富山地方鉄道、富山ライトレール、富山市は、直通運転に向けた軌道事業運営について協議を続けてきた。路面電車の相互直通運転は珍しいけれども、福井鉄道とえちぜん鉄道に似た事例がある。しかし、車両を直通するだけでは、両社の運賃が合算となり、割高感が増してしまう。もともと富山駅を挟んで乗り継ぐ場合はそれぞれの運賃が必要だったから、直通して便利になるだけでもサービス向上になる。ここからさらに踏み込み、運賃も共通化すれば「便利な上に安い」となるだろう。「富山駅の乗継ぎが不便だからマイカーで行こう」と考えていた人の利用も期待できる。

日本経済新聞電子版の2018年3月2日付の記事「富山市の路面電車、南北接続後に均一運賃に」では、富山市長が市議会で「2020年春の南北接続後は全線で均一とし、運行主体についても接続後に一元化する方針」を明らかにしたと報じている。同年9月4日付の記事「富山市の路面電車 南北接続後は富山地鉄が運転」では、運行業務を富山地方鉄道が担当することが決まったと報じていた。この時点で2社の経営統合も視野に入れており、富山地方鉄道を存続会社として協議が進められたという。

富山地方鉄道と富山ライトレールの合併によって、富山市の路面電車事業が一元化される。ただし、運賃と運行形態の詳細はこれからだ。運賃に関して、現在はどちらも200円の均一運賃(現金の場合。IC乗車券は180円)となっているけれど、協議で「共通化」は決定していても「据え置く」という文言はない。未定の理由は、2019年秋に予定される消費税率引上げも踏まえた新運賃を検討しているからだろう。

運行形態に関して、前出の「軌道運送高度化実施計画」では富山ライトレールの運行計画を「66本/日 ※オフピーク時は2本に1本が南北乗り入れ」としていた。一方、富山地方鉄道の市内電車は現在、3系統を運行しており、すべて富山駅停留場を経由している。どの系統で直通運転を行うのか、興味深い。

筆者の予想は、車両の共通化という面で、まずは富山地方鉄道環状線(3系統)と富山ライトレールの共通運行から始まるのではないか。その上で、将来的に南富山駅前停留場・大学前停留場から富山ライトレールへ直通する系統があれば、富山駅の南側・北側どちらの市民にとっても便利になることは間違いない。さて、どうなるか。

  • 現在の富山地方鉄道市内線の運行系統

富山ライトレールは旧JR富山港線を第三セクター化しており、富山市、富山県ほか民間企業が出資している。この富山港線の歴史をさかのぼると、1943(昭和18)年1~6月に富山地方鉄道の路線だった時期がある。後に国有化され、JR西日本へ移行した。つまり、今回の合併で77年ぶりに富山港線が富山地方鉄道へ戻ってくることになる。

富山地方鉄道は1930(昭和5)年に富山電気鉄道として発足。創業者の佐伯宗義は「富山の一県一市街化」構想を提唱していた。富山県のどこに住んでいても1時間以内で中心部に行けるようにという理念にもとづいている。その後、1943(昭和18)年に富山県の私鉄、市バス、県営、市営交通を統合して富山地方鉄道となり、このときに富岩鉄道だった富山港線を組み入れた。公共交通も取り込んだ交通大合併は戦時中の陸上交通事業調整法によるものだったけれど、佐伯宗義の理念に沿った施策でもあった。

  • JR富山港線の営業終了まで使用された東岩瀬駅の旧駅舎は現在も保存されている。1924(大正13)年に建てられたという

公営交通を民間企業に渡し、路面電車を残し、旧国鉄路線もLRT化して残す。富山県の鉄軌道は独特の文化を持っているように見える。一県一市街化。富山をひとつに。佐伯宗義の理念の下、富山県の交通政策は行われているようだ。