「匠の記憶」第4回 薬師丸ひろ子スタッフ 東映・遠藤茂行さん&ユニバーサルミュージック・山川智さん

 自身の主演映画の主題歌をコンパイルしたハイレゾスペシャルアルバムが好評配信中の薬師丸ひろ子。

 「匠の記憶」第4回のゲストは、彼女のアイドル女優としての黄金期を支えた東映の宣伝プロデューサー・遠藤茂行さんと、今回のハイレゾ音源の制作にも携わり、歌手としての充実期を現在に至るまで併走し続けているレコーディングディレクターの山川智さんを迎えてお送りします。

(聴き手:安場晴生/ソニー・ミュージック)

 


 

インタビューの様子。意外な裏話も次々と飛び出し、終始和やかなムードで進んだ。(イラスト:牧野良幸)

 

――角川映画全盛期の薬師丸ひろ子さんが歌った主題歌4曲のA面曲とカップリング曲をコンパイルした、ハイレゾスペシャルアルバムが発売されました。音源のご感想をいただきながら、当時のエピソードをお伺いできればと思います。まず遠藤さんから、簡単な経歴と薬師丸ひろ子さんとのお関わり合いを教えていただければと思います。

遠藤 角川春樹さんがプロデュースの薬師丸ひろ子さん主演の映画は、それまで東宝さんでやられていたものが、『セーラー服と機関銃』という映画から東映の配給になって、その宣伝を私が担当することになったんです。それ以来、『探偵物語』、『メイン・テーマ』、『Wの悲劇』と角川映画作品の宣伝プロデューサーという形で関わっていくことになるんですね。で、『セーラー服と機関銃』で、相米慎二監督が「主題歌お前が歌ったら?」と(薬師丸さんに)言われて、みんなが「なるほどね」という話になって。角川さんも「本人たちが盛り上がってるんだからいいじゃないか」ということで、キティレコードさんが主体で音楽制作が進められていったんです。

――キティレコードというと、多賀英典(プロデューサー)さんですね。

遠藤 そうです。そんな経緯もあって、初めて主題歌を歌うことで、今まである意味では映画ファン層にしか認知されていなかった薬師丸ひろ子という女優さんが、一気にアイドルの世界にまで踏み込むことになったきっかけとなっていったんですよね。

――その辺りは僕らの世代は臨場感を持って体験させていただきました(笑)

遠藤 薬師丸さんに関しては、本当に公開直前でないと世の中に露出しないというスタンスでした。当時カリスマ性っていうのを角川さんが大事にされていたんで、当時の歌番組も『夜のヒットスタジオ』と『歌のトップテン』などにどう出るか、という事を考えなければいけませんでした。どうしてもレコード会社さんだと仕切りづらい部分もあるので、窓口を映画サイドでやらせていただいていました。

――じゃあ映画の宣伝だけではなく音楽のほうの宣伝も、ということですね。

遠藤 そうです。まあ怖いもの知らずっていうか、あくまで映画のキャンペーンとして割り切って出させていただければやるけれども、音楽のルーティーンワークの中には彼女は入ってこないので、そういうことでもよろしいですか、という大前提でやらせてもらっていました。『歌のトップテン』『ザ・ベストテン』に関しては1回ないし2回の出演を大前提で。だからお断りすることのほうが圧倒的に多い。

――そっちのほうが大変ですよね(笑)

遠藤 お願いすることが前提のレコード会社の人を窓口にしちゃうと、それができないものですから。僕らは角川さんと表裏一体なんで、「角川の戦略はこうなんだ」ということを受けて、取材・出演をセーブしていくっていう時代だったんですよね。

――当時は角川春樹事務所に所属する形で彼女がいて、映画のほうのパートナーシップを結んでいた。で、音楽のほうでもまた別にパートナーシップを結んでいたという。

遠藤 あくまでも映画の主題歌以外は歌手活動をしていませんので、映画のキャンペーンのときしか活動しないというのがありました。当時まだ学生さんだった薬師丸さん自身の思いもあって「学業優先」としていたので、「この時期でないと観られません」と飢餓感を一気に煽っていくっていう。それが『セーラー服と機関銃』で爆発して、映画興行史上初めて、関西1日目のキャンペーンで梅田と道頓堀と京都の大宮東映という劇場が、上映中止になったっていう。

――事件になってましたよね、当時。警察沙汰とまではいかないですけど。

遠藤 いや、警察沙汰なんです。機動隊も出てくる、警察も出てくる。例えば梅田東映ですと、通りがもう満杯に人があふれ出してて、道路がもう人であふれちゃって、交通規制が全くできない状態。で、警察が相当数、パトカーが何台も出てきたんですけど。とにかく今すぐ上映を中止しなきゃダメだっていうことになって。本人は結局劇場には行けずに、ホテルでテープにメッセージを入れて。

――お客さんには全く触れることなく。

遠藤 そうですね。そこに行ったら大変なことが起きるんで。もう劇場も満杯だし、劇場を取り巻く道路にずっとお客さんの列ができて、その最後尾と先頭が、劇場をぐるっと取り囲んでしまって、まあ一気に彼女のアイドルブームが爆発をしてしまう、ということになるんですね。『セーラー服と機関銃』の興業の大阪での舞台挨拶中止のあとに、結局名古屋までタクシーで行きました。新大阪も飛行場もダメ。タクシーで名古屋まで行ってくれって言われて、名古屋から東京に戻ってきたんです。これもここだけの話、本人が劇場を遠くからでもいいから見たいって言うから、「いいって言ったら頭上げてね」と言って、パッ!って。そうしたら「すごいことになってますね」って他人事のように(笑)。京都の劇場も見たいっていうから遠回りして見て。それでようやく帰ってきたんです。

――スゴイですね! では山川さんのお関わりを教えていただけますか。

山川 現在、ユニバーサルミュージックで制作を担当しています。薬師丸さんとの出会いは、25年ぐらい前に東芝EMIで宣伝で関わらせていただいたのが最初です。当時、薬師丸さんはデビュー10年で、既に地位を築かれていた時期で、『PRIMAVERA』というアルバムで宣伝の現場担当をやらせていただきました。その後制作に移り、今から4年前、東映さん制作の薬師丸さん主演映画『わさお』で、主題歌も歌われるという事で、その曲「僕の宝物」の制作として担当させていただきました。そこからずっと制作と、今回のハイレゾのリリースも関わらせていただいています。

――ではご用意した4曲を順番に聴いていただきながら、当時のエピソードをお伺いできればと思います。

 

noteセーラー服と機関銃

 

――いかがでしょうか。

遠藤 この曲は最初の、彼女の歌との出会いです。あらゆるキャンペーンで爆発的な熱狂を生みました。アルタ前で2万5千人が集まってしまったイベントとか、そういうことが昨日のことのように思い出されますけど。あの小さい身体のどこにエネルギーがあるんだろうという風に思っていて……早稲田大学の学園祭に行ったことがあって、そのときに「これは機械で作った音だ」ってある学生が言ったこともありましたね。そのぐらいすごく透明度の高い声だったんだろうと思います。

――映画を楽曲が引っ張っていた部分が大きかったのでしょうか。

遠藤 大ブレイクすることになるきっかけとして、それぐらい音楽の持っていた力が大きかったんじゃないでしょうかね。薬師丸さんを認知させるための起爆剤になった作品ですよね、『セーラー服と機関銃』は。

――そうなんですね。その前から薬師丸さんっていうのは、スターっていう感じはあったんでしょうか。『野性の証明』とか。

遠藤 『野性の証明』でミステリアスな魅力を持った少女だっていうことはあったにしても、主演映画が配収10億を超えるとか、そういう規模の映画にはめぐり逢えてないんですね。

――じゃあやっぱりみなさん、この作品でブレイクするということは予想してなかったと。

遠藤 やはり火をつけたきっかけがこの主題歌になってくるんですね。もちろん今となっては「セーラー服と機関銃」というタイトルの意外性であるとか、赤川次郎さんの原作であるとか、相米監督作品のクオリティ……全てのことがポジティブに向かっていった。想定外のヒットになった最後のポイントが、本人が主題歌を歌ったっていうことですね。

――そうなんですね。これはちょっと基本的な質問になっちゃうんですけど、「角川映画」の定義というか、どういうところだったんですか? 当時は。

遠藤 まさしく「読んでから観るか、観てから読むか」っていう、書籍と映像の連動というのを、それまでの日本映画はやってなかったんですね。なおかつそのプロモーションを、テレビのスポットを使ってやるというのを、映画会社はどこもやってなかった。もっと言うと全国キャンペーンを回るなんてことも、映画会社はやっていなかったんです。

――じゃあ舞台挨拶とかもやってなかったんですか?

遠藤 舞台挨拶はもしかしたら特別興行にはあったかもしれませんけど、初日に舞台挨拶をするという習慣はなくて。

――じゃあ宣伝自体も角川映画は非常にエポックというか。

遠藤 もちろんこの作品の前にも『野性の証明』や『人間の証明』っていう大きな作品があって、それ以降音楽と書籍と映画、映像っていう三位一体のジョイントをしていく映画作りが定着して。日本映画の大きな転換期を引っ張った作品の一本ですよね。

――僕は普通に巻き込まれていた世代の人間なので、なるほどとしか言い様がないんですけど(笑)。ではもう一曲聴いていただきたいと思います。

 

note探偵物語

 

――ハイレゾの音源というのはいかがですか?

遠藤 いやあ、いいですね。聴き入っちゃいますね。

――透明感が際立ちますよね。やっぱり彼女の声の感じとアレンジの贅沢なハーモニーがあって。

山川 声の粒がはっきりしていますし、演奏者も例えばストリングスの弦の立ち上がりや、ベーシストが弾く指使いまでわかりますね。

――CDだとストリングスとかが奥のほうに引っこんで聴こえるじゃないですか。それがこう前に来て、さらに声が前に来て……というのがすごく気持ちいいというか。

山川 確かな歌や演奏が際立って、しかも生身の人がやっている温かさが伝わりますね。

――この作品は『セーラー服と機関銃』という大ヒットした映画から2年も空いているのですが。

遠藤 ちょうど高校から大学に行くっていうこともあって、1年半休養するんだっていう「休養宣言」を戦略として角川さんがとって、結果として飢餓感をさらに煽ることになるんですね。それが久々の復帰作という位置づけだったものですから、それは大変な待ち遠しさと期待感という。

――1年半の休業というのは今の速度よりも、たぶん時代の流れで言うとだいぶ待つ感じですよね、きっと。

遠藤 それまでは半年に1回のペースでやってた人なので……確かにそうですね。本当に期待感は相当すごかったですよね。

――プロデューサーの立場から言うと、もうちょっと早いペースで、というのはなかったんですか?

遠藤 まあ「満を持す」という言葉もあって……実はこの間に原田知世さんと渡辺典子さんが選ばれたオーディションっていうのがあって、「第二の薬師丸ひろ子を探す」と。その彼女たちの主演映画もあったりしたんで、映画作りのほうはぐりぐり回ってました、角川さんを中心として。

――じゃあ充分に濃い時間だったっていうことですね。

遠藤 そうですね。

――『探偵物語』の相手役は松田優作さんだったわけですけど、すごく意外性があった記憶が。

遠藤 1年半ぶりの超期待作に相応しい人が誰かいないか、ってみな自薦とか他薦とかいろいろしてたんですけど、なかなかうまくいかなくて。セントラルアーツの黒澤満プロデューサーが、「松田優作ってことは考えられますかね」と言ったら、みんなが思わずばっと腰を上げるぐらい、「そういう発想もありですね」ってなって……そこから一気ですよね。でもそうしたら「なんで俺がアイドル映画に出なきゃいけないの」的なことが松田優作さん本人からあったみたいで。ところが今でも覚えてるんですけど、麻の茶色の上下のよれよれのスーツをあるスタイリストが持ってきた瞬間に、「見えた!」って言ったんですね。

――優作さんが。

遠藤 ええ。テレビでやってた彼の『探偵物語』っていう有名なシリーズにもある、帽子をかぶって、足の長い、颯爽とした……という姿とは違う、ちょっと猫背にして、大きな体を持て余し気味の、麻の茶色のスーツということで、新しい探偵の像が彼には見えたんじゃないですかね。それまではかなり躊躇してました、やることに対して。その後はもう薬師丸さんと彼の世界にどんどん入って行くし、最後の最後で、映画ではラストシーンになりますけど、成田空港での別れのシーンっていうのがあって。あそこを当時の根岸(吉太郎)監督と、松田優作さんと、延々とどうしたらいい、っていうのをやって、結果、完成した映画のようになったという。

――すごく余韻のあるエンディングでしたね。

遠藤 かなり長い長いキスシーンですよね。まあ身長差が30cmの、極端な凸凹コンビができあがったっていう。ビジュアル的にすごく面白いコンビにはなりましたよね。

――そうですね。曲に関する歌番組の思い出とか、覚えていらっしゃいますか?

遠藤 ここはもう『セーラー服と機関銃』の大ヒットのあとの曲ですから、いつどこの番組にどう出すんだ、っていうことをレコード会社と本当に侃々諤々話して、まずフジテレビの「ヒットスタジオ」に出させていただいて。その後に「ザ・ベストテン」「トップテン」の順番だったかな。

――根岸監督のようなアート系の方が、こういうエンターテイメントを撮るっていうことは予想されていたんですか?

遠藤 もともと黒澤さんが日活の撮影所長だったんですよ。そのころ助監督でいた人たちが、成長して監督になっていくっていうことで、みなさんの力量をすごく把握されていたので。だからまったく作品だけを見たわけじゃなくて、彼らのいろいろなプロフィールも全部知っている黒澤さんの推薦があった上で、根岸さんに決まったんですよ。

――そうなんですね。

遠藤 一番決まらなかったのが……

――松田優作さん。(一同笑)

遠藤 そこに行くまでが大変だったってことですね。

――では次の「メイン・テーマ」にいってみます。

 

noteメイン・テーマ

 

――いかがでしょう。

遠藤 個人的にこの曲は大好きなんですよね。当然歌詞の通り、彼女20歳。「20年も生きてきたのに、涙の止め方も知らない」ってすごいフレーズだと思うんですよ。今聴いてもいい詞だなってつくづく思いますね。

――「愛ってよくはわからないけど、傷つく感じがすてき」なんて、まるで何かのコピーのような歌詞ですよね。

遠藤 すばらしいですね。本当にすごい詞だなって思いますね。

――これは台詞から引っ張ってきたとかっていうことではないんですね。

遠藤 ぜんぜん違うんです。もちろん主人公は20歳っていうことと、ちょっとだけおしゃまな……等身大に近い女の子がひとり旅をしていく話なんですね。そこで出会った男の子とちょっとしたラブストーリーになっていくんですけど。当時新進気鋭の森田芳光監督とは、ここで出会っているんです。

――森田さんは『家族ゲーム』の後ぐらいですかね。

遠藤 そうですね。(『家族ゲーム』で)松田優作さんと組まれたこともあり、森田さんの評価っていうのは角川さんのほうでも高まっているわけです。当然(監督の)最有力候補に常に上がっていましたね。

――歌詞を書くのは映画と同時進行だと思うんですけど、どういう発注があったんでしょうか。

遠藤 角川映画に関して言うと、音楽を推進していくチームがまた別にあるんですね。もちろん角川春樹さんにも相談して、最終的にジャッジしていただいて。東芝EMIのプロデューサーもいらっしゃって、それでシナリオをお渡しして。松本隆さんと南佳孝さんにこういうことで、もちろん薬師丸さんのイメージをふまえた上で書いてくれ、っていうオーダーを出していくんですね。

――タイトルだけは映画と同じにしてくれ、とかそういった。

遠藤 それは基本的な条件ですね。「映画を主題とする主題歌である」というのが角川映画の場合は大前提なんで。主演が歌うんで、ほかのタイトルをつけようがないっていうのもあったり。

――そういうことなんですね。でもヒットパターンでいくんじゃなくて、新しいクリエイターというか、新しい監督をどんどん起用していくっていうのはなかなかチャレンジングというか。

遠藤 まあ内容を見てもらうとわかるんですけど、たぶんルーティーンで映画を作る気が全くなく、いい意味でとんがっていて、才能あふれる監督と薬師丸さんを出会わせていったっていう、そういうことになるんだと思いますね。

――だからこそ時代的な作品になったっていうことですよね。

遠藤 と、思いますね。ルーティーンで、職業監督で撮るというのはまったくなかったんです。だから企業内監督とはほとんどやってないんですよね。最後に出てくる沢井さんの『Wの悲劇』っていうのはこのあと唯一の企業内監督ですよね。

――そうですよね。そのあたりのことをお伺いしたかったです。では『Wの悲劇』を聴いていただきましょうか。

 

noteWoman~Wの悲劇

 

――すばらしいですね。

山川 詞曲演奏、全てに奥が深いですね。

遠藤 これも大変だったんですよ。

――何か思い出されることはありますか?

遠藤 この作品のラストカットの、泣き笑いのような表情でカーテンコールというか、スタンディングオベーションに応えるっていう……世良政則さんに会って、最後のお礼をするためのお辞儀をするようなカットがなかなかOKにならなくて、何回も何回も撮ってるんですね。

――こだわりのシーンだったんですね。

遠藤 泣きすぎたり、ちょっと泣きが足りなかったり、微妙なんですよ、監督が求める具合が。そこに彼女が必死で応えるんだけど、なかなかOKが出ない。相米さんと違う意味でものすごい……澤井信一郎さんっていうと、名伯楽って呼ばれている……アイドルの、松田聖子さんとかも手がけられた監督で。

――『野菊の墓』ですね。

遠藤 そうですね。澤井さんが、マキノ雅弘さんっていう有名な方の最後の弟子なんですね。そのマキノさんもご自分でやって見せたりする監督だったものですから……そういうことを含めて現場で勉強された澤井さんが、自分の思いの丈を演出にぶつけたっていう。で、ぶつけられた薬師丸さんがそこにいて……僕、ポスターも考えさせてもらったんですけど、「少女から女へ」っていう風にして。やっぱり映画の中でもラブシーンがありました。作詞作曲はユーミン(松任谷由実)さんと松本隆さんのコンビで、この人たちもやっぱり彼女が主演作品の主題歌である、ということを充分踏まえてくるから、それでこの詞が出てくる。ただ実は完成した楽曲を、東芝EMIのプロデューサーと一緒に聴いてもらった瞬間に、監督がぜんぜんピンときてなかったんですよ。それはなぜかっていうと、監督が持ってる映画のリズムと合わなかったんですね。僕はそのときは少々生意気だったんで「いやいや、角川映画ってこういうものですから、使ってもらわなければ困るんです」「それはもう角川春樹さんに相談もして、これを納得していただいた上で現場にお届けしてるんで」と言って(笑)。でも完成されて試写会をやった瞬間に、試写場が号泣の嵐だったんです。この曲が流れた瞬間に。

――ああ……すごいです。

遠藤 それを見て「いいじゃない」って軽い感じで(笑)。どうしても監督はリズムで映画を撮ってますから、そのリズムが最初に試聴してもらったときに合わなかったんですね。でも映画を見て、自分で音をつけて、エンドロールの中にこの歌が、ラストシーンの彼女の泣き笑いの顔にものすごく合ったんですよね。それはご自身の思わぬ方向以上に広がっていったんじゃないですかね。澤井さんとしても。

――予想だにしなかった、じゃないですけど、そういうことですよね。

遠藤 まあそうですね。自分のイメージと違うものがあがってきたけれども、結果すごく合っていたっていう。初めて聴かせたときはもう……

――けちょんけちょんだった、と(笑) 相手役が三田佳子さんであったり、監督もそういう方であったり……原作との関係も、原作の中にある「劇中劇」が映画になったという、原作ものとしてはだいぶ高度な映画化ですよね。

遠藤 そう言う意味でも、いろんな意味で変化球をいっぱい投げた映画でしたね。それを見事に打ち返したっていう感じじゃないですかね。

――歌番組にも出られました?

遠藤 出ました。これもさっきの3番組には出てましたね。ただこの頃は、こう言っては申し訳ないけど、スタジオにはほとんど行かずに、毎回ロケーションにしていただいて、そこに追っかけて来ていただくというやり方をしていて。まあ『夜のヒットスタジオ』だけはスタジオに行かなきゃいけないんですけど、それ以外の番組ではスタジオじゃないところでやらせていただいたりしてましたね。ただこれを機に、彼女が「自分は女優に向いているのかどうか」ってしばらく悩んじゃう。

――この作品で。

遠藤 そうです。先ほどのラストカットも含めて、ある種の完全燃焼に近い。『セーラー服と機関銃』をやり終えて1年半で復帰するまで、本当に女優を自分の天職としてやっていっていいのかっていうことに対する悩みがあって、それで実は角川春樹事務所を辞めるんです。学生に戻って、どうするかっていうことが見つかるまでやらない、と。

――転換期だったわけですね。

遠藤 まあある種の、『セーラー服と機関銃』とは違う意味で大きなターニングポイントになっていく作品ですよね。

――でも周りの評価は高かったわけですよね、きっと。女優さんとしてもこれ以降、また評価が高まっていって。

遠藤 今まではアイドル映画と思われていたものが、本格派の女優に旅立っていくと思われた矢先だったんじゃないですか? そことギャップがあったんじゃないですかね。一方、三田佳子さんがこの作品でこれで初めて助演に回られて、助演女優賞を総なめにされるんですね。

――そうですね。

遠藤 三田さんの助演女優賞の獲得具合が凄まじくて、三田さんがどんどんすごい女優になっていくっていうか。のちのち薬師丸さんと話したんだけど、薬師丸さんはたまたま『三丁目の夕日』で助演に回った作品が同じ41歳なんですね。「ひろ子ちゃんこれ偶然だと思うけどさ、助演女優賞総なめにしたのって、三田さんとほぼ同じ年齢・時期だと思うよ」って。

――すごい一致ですね! 『セーラー服と機関銃』以前からのお付き合いかもしれないですけど、そこからやっぱり女優さんとして、すごく変化していったということなんでしょうか。

遠藤 変化は当然時代の流れとか年齢的なこともあるんですけど、基本的には何も変わらないと思うんですね。素朴だし、もうひとりの自分を冷静に見る目がいつもあるっていう。

――客観性を持っていらっしゃる。

遠藤 チャンネルがもう一個あるんでしょうね、きっと。「薬師丸ひろ子はこういうことをしちゃいけないんだ」っていうことを冷静に思って、「自分はこんなことやってみたい、でもこれはやっちゃいけないんだ」っていう葛藤をいつもやっていらっしゃる。若いうちからそういうことに長けてましたね。

――そこに才能がすごくあったということですね。

遠藤 だからということはないですけど、おばあちゃん子だったらしくて、言葉づかいから何から、とても15、6歳の子が使う言葉じゃなくて。さらにちゃんと自分を律することができる人だった。若いうちからですよ。

――品性を感じたわけですね。歌手としての魅力はどのように感じられてました?

遠藤 もともと中学高校まで合唱団に入っていらしたんですね。だから歌い方はすごく素直で、まるで合唱のリーダーが歌うようなっていうか、そんな感じの歌い方で。だからプロの歌手としての歌い方がどうというよりは、きれいで透明な声、というのが彼女の一番の魅力なんだと思います。

山川 レコーディングのときも、薬師丸さん自身が納得するまで何度も何度もテイクを録って、もうそろそろ疲れてくる頃かなと思ったら、またすごい上昇のピークが来るんです。

――やっぱりご自分で、「もっと、もっと」と気持ちを持っていく方ということなんでしょうね。

山川 その気持ちをカバーするほど、喉も強いですね。

遠藤 人の見えないところで努力しているんだと思いますよ。あまりおくびに出さないっていうか、表に出さない人なので。負けず嫌いは負けず嫌いですよね。かけっこでも一等賞にならないと気が済まないみたいな。

――そういう風には見えないですよね。

遠藤 自分でテンションを上げていくっていう感じもあるから。そういうモチベーションというか、芝居をするっていうことに関して常に必死なんですよね。一番最初の出会いは『戦国自衛隊』っていう映画で、ワンシーンだけ「少年のような武士」っていう役で竜雷太さんを刺すっていうシーンがあって、「子どもじゃないか」と言って竜雷太さんが自衛隊のピストルで撃ち返す。そうすると倒れるわけですけど、受け身を取らないで、そのまま後ろにドーンと倒れたんですよ。

――ええっ! 普通自分を守りますよね。

遠藤 撃たれた瞬間「吹っ飛ぶ」感じってあるじゃないですか。ああいう感じでびっくりしたんですよ。

――その年齢の女の子にはあり得ないガッツですね(笑)

遠藤 いやいやびっくりした。別に監督も、そんなことをやってくれなんて指導もないですよ。ははぁー、この人は何にでも一生懸命な人なんだなって。

――そんなエピソードも踏まえつつ……山川さんは、歌手としての魅力はどのようにお考えですか?

山川 歌手としてイコール、人としての魅力ですね。先ほど遠藤さんが『Woman』のとき、悩まれている時期があったとおっしゃいましたが、この当時、松任谷由実さんの苗場コンサートに、気分転換に行かれたそうです。由実さんも、そこで薬師丸さんと一緒にスキーをした事を昨日のように覚えておられました。薬師丸さんのすごいところが、作家の人とすごく繋がってるっていうか、これまでに作品を提供していただいた大滝詠一さんや井上陽水さんも、去年、紅白で(松任谷)正隆さんがピアノを弾いてくださった事も、やっぱり彼女自身の魅力が深いから、音楽アドバイザーの枠を超えて、長いお付き合いが続くんだろうと思うんです。人としての素晴らしさが、そのまま歌に表れている気がします。

――先日クラムボンというバンドの、非常に音にうるさいミトさんという方にインタビューさせていただいたのですが(記事参照)、彼も薬師丸ひろ子さんのハイレゾ音源のことを非常に素晴らしいと言っていて。僕も改めて聴いて本当にすばらしいなと思いましたし、今回のハイレゾ化にあたってのポイントなどもお伺いできましたら。

山川 一般的に圧縮した音に慣れているところがあるので……一番気をつけたのは歌や演奏している人の空気感をどう伝えるかっていうことです。

――なるほど。今回は全部アナログマスターですか。

山川 はい、当時の空気感がしっかりと記録されていました。ユーザーの皆様も感慨深いと思います。

――ありがとうございます。角川映画世代と言っても過言でもない僕からしても、本当に貴重なお話をお伺いすることができました。

山川 今思うと、遠藤さんのプロデュースの元で、デビュー初期に露出をうまくコントロールされて、それが神秘的なイメージに繋がっていたと思います。その頃のプロデュース感覚が、薬師丸さんの一本の芯として礎となっているからこそ、今も第一線で活動されているんだっていう気がしますね。

――その通りだと思います。改めまして、本日はありがとうございました。 

 

ハイレゾ×ベスト 薬師丸ひろ子

今回言及の4曲を収録!

 

 


 

《プロフィール》

 

遠藤 茂行(えんどう しげゆき)

1972年東映入社。経理部を経て洋画配給部宣伝担当となり、角川映画を担当。主な作品として、『戦国自衛隊』『蘇る金狼』『野獣死すべし』『スローなブギにしてくれ』『セーラー服機関銃』『探偵物語』『里見ハ犬伝』『メインテーマ』『wの悲劇』『天と地と』『失楽園』など。
1997年、企画を兼務し『新生トイレの花子さん』『バトルロワイヤル』『あぶない刑事』『go』『フライダディフライ』『北の零年』『今度は愛妻家』『俺は君のためにこそ死にに行く』などを担当する。
2010年、執行役員企画開発部長となり『ツレがうつになりまして』『聯合艦隊司令長官山本五十六ー太平洋戦争70年目の真実』『わさお』『想いのこし』『王妃の館』等に関わる。現在は『さらばあぶない刑事』『ターミナル〜起終点駅』が公開予定。

 

山川 智(やまかわ さとし)

東芝EMIからEMIミュージックジャパンを経て、宣伝、販推、制作を歴任。
担当アーティストに於いて、日本レコード大賞アルバム賞、特別賞、新人賞、日本有線大賞新人賞、日本レコード協会プラチナシングル賞等、数々の賞を受賞他、世界初の8cmシングルCD-EXTRAを発売。
現在はユニバーサルミュージックにて、デューク・エイセス、フォーセインツ、山川豊、薬師丸ひろ子、徳永ゆうき等の制作を担当している。