やればできる! ティモンディ前田裕太さん・インタビュー拡大版

明大スポーツ新聞
2020.08.20

 8月15日発行のWEB新聞で登場していただいたお笑いコンビ・ティモンディの前田裕太さん。新聞内ではやむを得ず割愛したインタビュー部分を掲載いたします。

(この取材は7月25日に行われたものです)

 

――前田さんは済美高卒業後、駒大へ進学されました。大学ではどのような学生でしたか。

 「授業は一番前で聞くタイプでした。こういう言い方をするとあまり良くないんでしょうけど、入学する前は、大学は友達をつくる場所じゃないと思っていて。悪い尖り方をしていたというか。野球を高校でやめたときに1個ちゃんと打ち込むものをつくろうとなったものが勉強で。遊ぶことも何かに生きたりするのに『(遊びに対して)意味分かんないな…』みたいに見ていて。ただ2年生のときに法律研究サークルというものに入りまして。僕がそこに所属してから、いわゆる複数人で遊ぶみたいな状態になって。そこで意外と遊ぶのも悪くないなと思えたというか。遊びを覚えだして、ある意味で視野がようやく広がったのが2年生でした。大学を卒業した後は、法律事務所に就職しようかなと思って法律を勉強していたので、そのために勉強する4年間、という位置付けでやっていましたね」

 

――前田さんと言えば、名門校で活躍されるほどの高校球児でした。その野球を大学でやめた理由について教えて下さい。

 「プロ野球選手になりたいという理由で小さい頃から野球をやっていて。自分の人生の中での大きな挫折というか岐路というか、夢が今のままでは叶いそうにないなって。じゃあいつまでそれを追いかけ続けるのか、いわゆる現実と理想の分かれ目をどこに置くのかっていう点で、高校を卒業して大学っていうのが自分の中で割り切れる場所だったのかなっていうのはありましたね」

 

――野球をやめたことを後悔したことはありますか。

 「野球部にいる以上はプロを目指してやるものなのかなと思っています。だからこそきつい練習もやる、というのが自分の中にあって。将来を見据えての努力かなと思っています。その中でプロは難しそうだな、果たしてこの道でこのままきつい思いをし続けて自分は後悔しないか、他のものもできたのではと後悔しないかと考えた結果、大学で野球をやるのはちょっと違うかなと。野球そのものを二度としないというわけではないけれど、将来的にプロでやっていくというのは無理だと思いました。それを自分の中で消化して次に進めたので、やめたことに対する後悔はあまりないです」

 

――大学で勉強面で苦労したことについて教えて下さい。

 「高校3年間勉強しておらず、基礎知識がごっそりない状態で大学に入ったので。法学ってみんな同時スタートの学問なのでなんとかなったんですけど、他の分野で例えば教授がさらっと『フランス革命があったからこういうことになったんだよね』って言った時に、僕はフランス革命の歴史をまるで知らないんですよね。いちいち教授がぽろっと言ったものを調べる時間とか、知っていて当たり前のことをもう一度勉強し直す時間が大変だったかなって思います」

 

――相方の高岸宏行さんとは当時から連絡を取り合っていたのですか。

 「あいつが東洋大だったので、学食遊びに行ったりだとか。東洋大のキャンパスに行ってみたりだとか、こっちのキャンパス来てもらったりだとかそういうのはありましたね。(高岸は)勉強やばいだろうなとか思っていたので、全然東洋大の授業とか分からないんですけど、例えば(高岸が)『今は法学概論やっているよ』とか言っていたら『じゃあここら辺テストに出るんじゃない』って教えてあげたりとかはしていましたね」

 

――大学で得た教訓などはありますか。

 「大学で入ってからほとんど初めてすることばかりで。例えばスポーツを今まであまりやってこなかった人たちとの交流も大学入ってから初めてで。サークルで一緒になった人たちと絡むようになってからですね。それまでアニメとかも『MAJOR』(週刊少年サンデー・満田拓也)とかしか見てこなかったんですよ。それで大学入ってから『こんなアニメあるよ』とか、『ライトノベルとかもあるんだよ』とか紹介されて。例えばイメージで『萌え萌え系ってちょっとな(笑)』って知る前から拒絶していたものが、実際に読むと物語としては悪くないな、と気付けたりとか。何事も知る前から否定するのは良くないなっていうことに気付けた経験は、今の自分をつくっている要素の一つになっていますね」

 

――駒大卒業後は明大法科大学院へ進学されました。大学院を目指した動機について教えて下さい。

 「大学の時に成績が良かったので、教授から『とりあえず大学院受けてみたら』ってことで。2、3校試験を受けてみたら、受けた全ての大学で学費全額免除って結果が出てきて。学費免除だし、この2年間、3年間を今しか味わえないのなら大学院に行ってもいいかなって。これから働くとしたら50年、60年働かなきゃいけないので、それを思うとこの人生の2、3年間働かなかったとしても、それが人生を左右するかなって思いで。めちゃくちゃ思い切った決断というよりかは割と楽観的に『一つ経験してみよ~』って踏み出した感じではありますね」

 

――大学院ではどのようなことを学んでいたのですか。

 「メインは憲法と刑法を学んでいて。大学院は変わった世界で、資格取得を目指す人もたくさんいて、そこも一つのゴールではあるんですけど、無益というか無駄な部分もあってそこが面白くもあるんですよね。例えば日本で学者とか弁護士がいろいろ言ってますけど、最終的に法律の運用を決めるのは裁判所なので、こっちがどうこう言ったって何も変わらないんですよ。結局裁判所がイエスかノーかどうかなんで、何が基準でイエスかノーかを知るだけでもいいんですけど、そこを『この考え方もいいんじゃない?いやこの考え方の方が良いでしょ』みたいな学びをするのが楽しくもありましたね」

 

――2017年には大学院を中退されました。中退までの経緯について教えて下さい。

 「ざっくり言うと、大学院入学したのと芸人始めたのが同時のタイミングで。1年間は通いながら芸人やっていたんですけど、自分の中の熱量がやっぱり楽しいものに向いちゃって。どっちも好きでどっちも楽しかったんですけど、大学院って出席がマストな部分で、それを2年間3年間やって資格取ってっていうのと、芸人の道を行くのかってことを、1年間やってみて『芸人だな』って判断した感じですね。僕の中では、何をやってもしんどいとは思うし、何をやっても苦しいとは思うので。その中でより自分が『苦しくてもいい』って選択をするのであれば何でもいいかなって思えていて。その時は大学院か芸人かって二択だっただけで。それで同じ苦しい思いするんだったらどっちがいいかなって天秤に掛けて選択しましたね。人生という目線で見ると大きな選択ではありましたけど、これって何にでも言えることではありますよね。どんなに小さなことであっても」

 

――中退したことに対して家族からはどのような反応がありましたか。

 「いや~これは言われましたね、やっぱり(笑)。親から『安定してある程度のお金を稼げたのにね』みたいなことは言われましたね。でも否定はされませんでしたね。『本当にそうしたいんだったら何でもいいけど、もったいないことしたね』みたいな。僕も(中退を)決めていたし、親も『決めているんならしょうがないね』って言っていて。あとは学費が全額免除というのもあったので、そういうこともあってかもしれませんけど。割と伸び伸びとやらせてもらえていた感じはありますね」

 

――今でも勉強は続けていらっしゃるのですか。

 「法律は土壌としてあるんですけど、大学時代視野が広がったということはあるので、今は例えば経済学の専門書を買ったりだとか。意外と理系の方の勉強も面白かったりするんですよ。理系なくして文系ないなと思ったり。逆もそうなんですけど。勝手に文系理系分けているだけで、意外と複合している問題とかあったりしていて。例えば新型コロナで言えば新薬が発明されてもそれだけでは運用できず、経済とか上手いこと回さないとみんなに普及していかない、とか。1個の問題を勝手にカテゴリーで分けているだけで、複雑な問題がいろいろとあることに気付いたりするので。マーケティングを勉強したとしても、商品の理系の部分を知らないといけなかったりだとか。なのでいろんな分野に手を出していますね。地学だったり、ミクロ・マクロの経済学だったり」

 

――前田さんから見た勉強の魅力について教えて下さい。

 「野球も駆け引きが始まってからがある意味野球というか。相手がどう読んでいるかの裏をかいた時に別の楽しさみたいなものがあって。勉強もただ覚えるだけの勉強から、先を見られるような勉強になってきたり、自分自身の考えを持てるようになっていくというか。受験勉強から大学での勉強というところにラインがあると思っていて。例えばフランスの人権宣言があって、その流れで日本の人権に対する考え方が確立したんだよってことをまず暗記で覚えないといけなくて。じゃあこの先日本ってどんな法律を作っていくのかなってみんなで話し合うときに、その歴史を知っていることでそこから逸脱した考えの法律は作れないって分かるし。じゃああなたならどんな法律作りますかって時に、知らない人なら適当に言えるけど、本筋の流れに沿った意見を言っている人は『この人分かっているな』と見分けが付くというか。自分が話している時も『これはみんな知っているよね』というように人を分けるような会話ができたり。僕は分かっているけどあえてこの提案をする、みたいなこともできたりするんですよ。つまり本筋を捉えた上での議論ができるようになってくると、研究とか一つ先の議論にようやく至るというか。『知る』というだけの面白さではないラインがそこかなと思いますね」

(常に笑顔でインタビューに応じてくれた前田さん)

インタビューの最後に、前田さんからメッセージをお願いします。

――高校球児へ。

 「僕らは3年間野球をやって3年の夏駄目だったという挑戦をさせてもらったので、気持ちを分かってあげられないというのが辛い部分で。ただ僕ら含めて世の中の大人の多くは『駄目になっちゃった分少しでも』という努力はしていると思うし、今の甲子園交流試合を一度やってみようとなったのも実際は難航したと思います。いろいろな対策を考えた上で大人たちが苦渋の判断でゴーサインを出せたのも、今の高校生たちを見て『それじゃ辛いだろうな』と大人たちが走り回った結果だと思います。もちろん何かしら僕らも行動できたらなとは思うのですが、伝えられることがあるとしたら、みんなに良い思いをさせてあげられるような、辛い思いの代わりになるようなもののために僕ら含めた野球関係者ないし野球に関係がない人も行動してくれているので、期待してほしいとまでははっきりとは言えないのですが、本当に100パーセント悲観的にならなくても『大人たち、任せた』という気持ちでいてほしいですね」

 

――大学を目指す受験生へ。

 「僕は偏見に満ちた高校3年生から大学1年生への時期があって。多感な時期だとは思うんですよ。反抗期がちょっと過ぎたり、まだ反抗期だったり、大人に対していろいろな思いがあったりだとか。人によって感情に幅がある年代だし、いろいろとものを覚える年代でもあるので。僕自身考え方の幅を広げられた大学4年間ではあったし、いろいろなことに挑戦できる環境が大学にはあるので。逆を言うと『大学がゴールじゃないよ』って今の頑張っている高校生たちには一つ伝えたいですね」

 

――今の大学生へ。

 「僕自身、大学時代は院に行ってから法律事務所で勤務してってことをゴールとして、その本筋への努力もしていたんですけど、でもふたを開けてみたら今芸人をやっていて、お笑いで一生懸命頑張ろうって思っているので。例えば化粧品会社に勤務しようって思っている人もいれば、出版社にって思っている人もいるとは思うんですけど、いろいろなことをやって幅を広げていくと、意外と人生の中のターニングポイントになるようなことがあったりするので。面倒くさかったり疲れたりするかもしれないけど、何か新しいこととか、やったことないこととか、興味本位で手を出してみた方が良いかなって。そこに関して僕は、学生生活の中で芸人を始めたという大きなターニングポイントになった経験をしているので。遊びじゃないですけど、自分が一つ定めた目標とは違うことに対しての挑戦は僕は応援してあげたいなと思います」

 

――ありがとうございました。

 

(前田さん一筆のサイン。「楽しんで色々な事にチャレンジしてみてね」とメッセージ)

[山根太輝・久野稜太]